2018年11月12日 (月)

国立劇場十一月歌舞伎評

梅玉を座頭とする通し狂言「名高大岡越前裁」。小坊主・法沢が老婆を殺して徳川将軍ご落胤の証拠の品を奪い、ご落胤になりすまし、天一坊を名乗って将軍家に迫る河竹黙阿弥の大岡物。

梅玉の大岡越前。魁春の妻・小沢。市川右近の一子・忠右衛門。右團次の天一坊。彌十郎の天一坊重臣・山内伊賀亮。

梅玉は持ち味を生かしたソフトでリベラルな大岡。天一坊が偽物であると主張し、一子・忠右衛門と共に窮地に陥る「大岡邸」。探索方から吉報が届かないと切腹するほかないのだ。塩冶判官のように心静かに家臣を待つ梅玉の大岡。

梅玉の静に対して、彦三郎がか感情をストレートに表す家臣・池田大助で場にアクセントを付けた。そして梅玉と共に場を盛り上げたのは葵太夫の竹本である。午後3時直前に語り終えたが、4時半からの歌舞伎座「楼門五三霧」に出演している。感心した。

右團次が純朴な青年から希代の詐欺師に変貌する様をうまく演じている。

(6日)

2018年11月 7日 (水)

吉例顔見世大歌舞伎評

昼の部は「お江戸みやげ」から。時蔵のお辻。又五郎のおゆう。梅枝の阪東栄紫。尾上右近のお紺。笑三郎の市川紋吉。東蔵の文字辰。

大看板や人気俳優が水準の高い舞台を見せる中、普段相手役や脇役の多い時蔵と又五郎の好演で、この演目が今月一番心に響いた。おばあさんと呼ばれるようになった締まり屋のお辻は田舎から江戸に出て反物の行商をしているが、酒に酔った勢いもあり、初めて惚れた男、若い歌舞伎役者・栄紫の恋を成就させるため大金を投げ出す。時蔵はお辻の過去の満たされなかった人生の哀しさを巧みに漂わす。お辻の行商仲間のおゆうは酒好きで陽気。又五郎はお辻を気遣う気持ちをうまく出す。ベテラン2人が情の通う芝居を作った。

次の「素襖落」は狂言舞踊。松緑の太郎冠者。坂東亀蔵の太刀持鈍太郎。巳之助の次郎冠者。種之助の三郎吾。笑也の姫御寮。團蔵の大名某。

松緑が軽快な踊りで笑いを取る。

昼の最後は河竹黙阿弥の白浪物「十六夜清心」。菊五郎の清心。時蔵の十六夜。梅枝の恋塚求女。又五郎の船頭三次。吉右衛門の俳諧師白蓮。

大ベテランの菊五郎が女犯の罪に苦しむ青年僧を何なく見せるのは芸の力。「しかし待てよ」で悪の道に足を踏み入れる変貌ぶりは愉快である。お辻でおばあさんを演じた時蔵が十九の遊女十六夜をそれらしく演じてのけるのも歌舞伎の醍醐味である。

この作品で清元延寿太夫の二男・栄寿太夫が歌舞伎初御目見得。この青年、実は今月も「お江戸みやげ」と「法界坊」に娘役で出ている俳優。若々しい美声を聴かせたが、歌舞伎界の二刀流になるか。期待したい。

 

夜の部は「楼門五三桐」から。吉右衛門の石川五右衛門。菊五郎の真柴久吉。歌昇の右忠太、種之助の左忠太。

余人をもって代えがたい吉右衛門の五右衛門。「絶景かな」は舞台のみならず、客席まで五右衛門の大きさが充満してくるから不思議である、痛快である。

雀右衛門の「文売り」。情を細やかに丁寧に踊る。

最後は奈河七五三助作を石川耕士が補綴した「法界坊」。猿之助の法界坊。歌六の道具屋甚三。門之助のおらく。隼人の手代要助。種之助の野分姫。尾上右近のおくみ。雀右衛門の渡し守おしづ。

近年、法界坊は悪人だが愛嬌がありどこか憎めない人物として演じられることが多い。当代猿之助とはいささか仁が違うと思っていたら、やはり少し違う人物になっていた。猿之助は極端に声を荒くし、極悪人に見せている。従って、愛敬で笑いを取ることは抑えられているが、すっきりした出来である。それは大詰めの「双面」で妄執を盛り上げるのに効果的であった。(5日所見)

 

2018年10月24日 (水)

焦点・市川團十郎の創作歌舞伎「黒谷」

 

十二代目市川團十郎が三升屋白治の筆名で歌舞伎脚本「黒谷」を書いている。伝統文化新聞に執筆中の連載企画「多彩に輝く成田屋」に登場するのだが、読んでみると意外性に富み、親子の情愛に満ちた質の高い時代物である。

 

主人公は時代物浄瑠璃の名作「一谷嫩軍記」の三段目「熊谷陣屋」で活躍する源氏の武将・熊谷次郎直実。一谷合戦でうら若き平家の公達敦盛を追い詰めるが、主君・源義経から敦盛は後白河法皇の御落胤であるから討つなと命じられていたため、やむなく同じ年ごろのわが子・小次郎直家を身代わりに討つ。しかし世の無常を悟り、僧・蓮生となり出家、「十六年はひと昔」の名台詞で花道を引っ込む。本作はその後日談である。

 

蓮生すなわち直実がわが子・直家の菩提を弔おうと比叡山の黒谷に来ると、亡霊と思しき3人が次々と現れる。

 

青葉の笛の音と共に姿を見せた敦盛は、助けられたことに感謝するどころか、助けたのは義経の出世欲のためだ。育ての父・平経盛を実の父のように慕い、討ち死にの覚悟はできていた。生き延びたため平家の無残な姿を見てしまった、と散々に恨み事を言うのだ。

 

次は敦盛の許嫁・玉織姫。今わの際に直実に差し出され、抱いた首は敦盛ではなく小次郎であったため悲嘆にくれている。

 

2人の嘆きを聞いた直実は後悔し、慟哭するが、最後にわが子・小次郎が現れ、武士の道ゆえ仕方ないと優しく慰めてくれるのである。

 

鶍の嘴と食い違う人の世の皮肉、かけがえのない生と死の重み、恩愛の情による救いを時代物らしい風格のある義太夫節の詞章で語っている。

 

闘病中に執筆、平成21年に名古屋むすめ歌舞伎で初演、24年の日本舞踊・市川流リサイタルで再演されているが、まだ拝見していない。作り方次第で傑作舞台になる。再演を望む。

 

(伝統文化新聞にも掲載します)

 

2018年10月11日 (木)

東宝「おもろい女」評

戦前、戦後の混乱期を疾走した天才漫才師ミス・ワカナの短くも激しい生涯を描いた名作。ワカナは大女優森光子の当たり役だったが、3年前に藤山直美が受け継いだ。今回は直美が病から復帰して再演に取り組んでいる。作・小野田勇、潤色・演出・田村孝裕。

芸能の分野で偉大な先人の名作をカバーしても成功したと思えるものは少ない。それは、先人の個性が強く塗り込まれているからであろう。しかし、本作は違う。先人の遺産を継承し、さらに上を目指している。再演を見てそう思った。

では、なぜ成功したのか。漫才シーンで、相方の夫・一郎(渡辺いっけい)を早口でまくしたてる。これはこの人の武器である。戦地で世話になった軍人の訃報に接し、ラジオで追悼の言葉を語る件は泣かせる。泣かせるのもうまい人だ。夫を捨てても芸の高みに登ろうとする激しさや冷たさの表現力はこの人ならではのもの。

要するに得意技を集めたような作品に恵まれたからである。

それに今回は、男にだまされたあげく、ヒロポン中毒になった末、死んでいくラストの「死んでたまるか」が胸に刺さる。作品を離れ、俳優自身が病気から復帰したばかりであることと重なるのである。

喜劇仕立てでありながら、心に迫る悲劇を作った。

この再演で忘れてならないのは渡辺の進歩である。気の弱い受け身の一郎を前回より、しっかり演じている。このため、ワカナの強さが際立つ。ワカナの哀れさもにじんでくる。

女性興行師役の山本陽子、漫才作家秋田実役の田山涼成が脇を固めた。

8日、シアタークリエ。

 

2018年10月 7日 (日)

芸術祭十月大歌舞伎評

十八代目中村勘三郎の七回忌追善公演。早いものである。遺児勘九郎、七之助や所縁の役者が集った。

昼の部は「三人吉三」の「大川端」から。

七之助のお嬢吉三。いい口跡で名台詞を聴かせるのだが、満点を取るには謳うように語り、観客を酔わせる必要がある。巳之助のお坊吉三。八月の「ナルト」、で腕を上げた。それが生きている。獅童の和尚吉三。三人の中のリーダーの貫禄を示している。

続く「大江山酒呑童子」は萩原雪夫作の舞踊劇。勘九郎の酒呑童子で、勢いのあるところを見せている。錦之助の平井保昌、扇雀の源頼光。

「佐倉義民伝」は今月一番見応えがあり演目。

白鸚の木内宗吾は元武士の片鱗をも見せず、ひたすら民百姓を思う優しい名主、それだけに、自分だけでなく家族も犠牲にして決行する将軍への直訴の悲劇性が大きくなる。女房への去り状から子別れに至る愁嘆場は盛り上がる。

七之助が女房おさん。白鸚との年齢差を感じさせず、情が真っすぐに伝わる。今月の三役で、もっともいい出来。歌六の渡し守甚兵衛。命がけで宗吾を助ける気骨が、宗吾の危機的状況をよく感じさせる。

夜の部は「宮島のだんまり」から。平家の赤旗を巡る古風なだんまり。扇雀の傾城浮舟、錦之助の大江広元、彌十郎の平清盛。

「吉野山」は勘九郎がきびきびした源九郎狐、玉三郎の優雅な静御前。巳之助の早見藤太は道化味が薄い。

最後は長唄による「助六曲輪初花桜」。仁左衛門の助六。花道の出からきれいに極まる。年齢を感じさせない闊達な動き。しかし、どうしても理性的に見え、物足りなさが残る。

七之助の揚巻。大役をこなすレベルに達しているが、花道の出や悪態に熟した香が欲しい。玉三郎の曽我満江は、さすがに助六の母としても重みがある。

勘九郎が白酒売新兵衛で愛嬌を振りまく。歌六の髭の意休はいささか見金杉。

3日所見。

 

2018年9月27日 (木)

新内仲三郎の会評

新内節の新内仲三郎が他ジャンルとのコラボで評判を呼んできた会だ。 

今回は新内プラス木遣り節と尺八。江戸時代に発達したものだけに意外性の面白さは少ないが、纏振りや梯子乗りもあり、江戸の雰囲気を楽しめる会であった。

中で刮目したのは二点。 

一つは江戸消防記念会による木遣り。改めて劇場で聴くと歌唱力の高さに驚かされた。

もう一つは新内多賀太夫が舞踊「御祭禮」の中で歌った「木遣りくずし」。粋で調子よく聴かせる。新境地を開いたと言える。

その他、新内「蘭蝶」は多賀太夫が美声を聴かせるものの、もっと哀切感が欲しい。同「明烏」富士松加奈子の情のこもった浄瑠璃。

新作新内「羅生門」は新内仲三郎の弾き語り、多賀太夫の浄瑠璃に藤原道山の尺八。それに堅田喜三久の囃子が加わって風格ある伝奇ロマンになった。

26日、三越劇場。

 

2018年9月13日 (木)

焦点・葛西聖司の著書「稚翠小松賑~歌舞伎のまち・こどもの力」

アナウンサーの葛西聖司が、石川県小松市の子供歌舞伎を紹介する「稚翠小松賑~歌舞伎のまち・こどもの力」を著した。小松市の発行で本体価格千円の新書版サイズ。コンパクトでありながら、内容豊富な労作である。

歌舞伎通の著者らしく5文字に収めた題名は、「わかみどりこまつのにぎわい」と読ませている。同市の歴史、産業から説き起こし、同地で盛んな子供歌舞伎の源流となる地元神社のお旅まつり曳山芝居の250年の歴史と現在の様子を紹介している。

そして著者と小松市との出会いは昭和62年、NHK番組「勧進帳八百年」の取材に始まるという。歌舞伎十八番の名作「勧進帳」で義経主従が同市にあった安宅関を通過して800年になるのを記念して、十二代目市川團十郎が市内で弁慶を演じたのである。

また、著者は小松に子供歌舞伎があることから平成11年に始まった「全国子供歌舞伎フェスティバル㏌小松」に毎年参加、司会者として参加しているというから驚きだ。その間、團十郎が設計アドバイザーを務めた小松芸術劇場が開場、團十郎亡き後、長男市川海老蔵、長女市川ぼたんも訪れたことを記している。

度重なる小松市訪問で数多くの人と出会った著者の筆には愛情がこもる。そこから、子供歌舞伎に励む子供と指導する大人たちの温かい絆、市川家と小松の人々との歌舞伎を通しての強い絆が浮かび上がる。=敬称略(伝統文化新聞にも掲載します)

2018年9月 7日 (金)

秀山祭九月大歌舞伎評

昼の部は「金閣寺」から。今月一番の注目は福助の病気復帰である。

金閣寺に捕らわれ、窓から三言ほど話すだけの慶寿院尼。顔を見せると客席から大きな歓声が上がった。声は弱くはないが、いつもより明晰ではない。病み上がりの大舞台だから仕方あるまい。予定されていた歌右衛門襲名の行方が気になるが、とにかくめでたい復帰である。

息子の児太郎が女形の大役・雪姫に起用されている。健闘しているものの、爪先鼠など直信への思いが薄い。

幸四郎が直信。柔らかみと憂いがあり、これは適役。

松緑が松永大膳。こちらも大役に挑戦である。口跡もよく堂々たる台詞だが、国崩しの悪の大きさが不足。

梅玉が此下東吉。この人独特の柔らかみが気になるが、武将としての強さはさすがにある。

次が萩原雪夫作、今井豊茂補綴の「鬼揃紅葉狩」。「紅葉狩」の改作だが、幸四郎の鬼女、錦之助の平維茂で華々しい舞台になった。

昼の部最後の「河内山」は祭主・吉右衛門が当たり役の河内山宗俊。序幕の質見世では小悪党ではないが、決して大物ぶらない。二幕の松江邸で大物の使僧・北谷道海に化けるが、その落差を付ける計算が行き届く。「山吹の」を時代に張り、「茶を一服」で世話に砕ける聞かせどころも、大げさにしない。玄関先の名台詞でたっぷり酔わせ、花道の「馬鹿め」を抑え気味にし、哄笑に重心を置く。スキのない一級品の「河内山」だ。

幸四郎の松江出雲守は貫禄が付き結構。又五郎の高木小左衛門に善方の風格があり、歌昇の宮崎数馬がキビキビしていい。吉之丞の北村大膳はもっと悪がほしい。

 

夜の部は「松寿操り三番叟」から。幸四郎の三番叟、吉之丞の後見でコミカルに踊る。

続く「俊寛」は吉右衛門が俊寛僧都。昼に続いての当たり役披露であるが、河内山は円熟、こちらは枯淡と言うべきか。芸に不足はないが、若い男女のために自己を犠牲にする側面は薄れ、俊寛自らの哀れが前面に出ている。それが残念である。

雀右衛門の千鳥、菊之助の成経。歌六の丹左衛門。

又五郎の瀬尾。達者なこの人にしては珍しく憎々しさが不足している。

最後は玉三郎、花柳寿輔演出の新作歌舞伎舞踊「幽玄」。能の「羽衣」「石橋」「道成寺」を鼓童の太鼓に合わせて玉三郎が踊る。歌舞伎にパーカッションのビートを持ち込んだ玉三郎の精神の若さに感心する。最初の「羽衣」は感動的であった。ただ、20分の休憩をはさんで2時間はいささか長い、と感じてしまった。

5日所見。

 

2018年9月 4日 (火)

新橋演舞場九月公演「オセロー」評

中村芝翫がシェークスピア悲劇に挑戦。奸臣イアーゴーにだまされ、若き妻デズデモーナの貞操を疑い殺してしまう黒人将軍オセローを演じた。

第一幕から、黒人差別をはねのけ知勇優れし軍人として国民の信頼を集めるオセローの人物の大きさを示して、存在感のある人物を作っている。圧巻はイアーゴーの讒言により罪なき妻を殺めてしまったことを知り、悔恨の情を吐露する最後の長台詞である。迫力ある台詞術でたっぷり聴かせる。自責の念、妻への愛が舞台から客席に押し寄せてくる。

歌舞伎では「すし屋」の権太、六段目の勘平などたっぷり聴かせる名台詞があるが、そういう役を勤める芝翫にはなかなかお目にかかれない。しかし、今月のオセローを見ていると長台詞を聞かせることの出来る役者になったと感じさせる。芝翫が一段階、格を上げた舞台であった。

役者の格を上げるといえば、先月の同じ新橋演舞場でも同様のことがあった。坂東巳之助が新作歌舞伎「ナルト」に主演、大劇場で主役を勤める器の大きさを示した。

偶然ではあろうが、この劇場で二か月続いて役者が大きくなる様を見た。

さて、「オセロー」に戻る。

神山智洋のイアーゴー。イアーゴー8主役説を唱えてもいいほどの大役だが、よく健闘した。今後は小悪党の屈折した心理状態の表現や演技に緩急を付ければさらに良くなるのではないか。

檀れいのデズデモーナは、現代っ子風なのが気になるものの、熱演であった。

中越司の美術が斬新で目を引いた。河合祥一郎の訳。

4日所見。

2018年8月19日 (日)

焦点・稚魚の会・歌舞伎会合同公演

東京・国立劇場小劇場で8月16日から20日まで、稚魚の会・歌舞伎会合同公演が開かれた。普段、脇役や端役として歌舞伎舞台の縁の下の力持ちになっている俳優が、この日ばかりは大役に挑戦する。毎夏、楽しみにしている公演である。

 

公演名を解説しておくと、稚魚の会は国立劇場の歌舞伎俳優養成研修を修了後、歌舞伎俳優に弟子入りし、舞台に立つ俳優の団体。歌舞伎会は直接、歌舞伎俳優の弟子になった俳優の団体である。

 

17日に拝見した。今年は3演目。幕開きは「寿曽我対面」で、新八の五郎、やゑ亮の十郎、仲助の工藤。しっかりした舞台を作っている。驚くべきことに、並び大名に至るまで、歌舞伎の台詞になっている。一部の梨園の俳優より歌舞伎らしい。

 

続く舞踊「勢獅子」は新十郎の鳶頭・鶴吉、松悟の亀吉、升吉の芸者・おますらでにぎやかに江戸の雰囲気を出している。

 

最後の「神霊矢口渡」は芝のぶのお舟。研修9期生で年長だが、既に本公演で大きな役に起用されているだけに別格のうまさ。橋吾の渡し守・頓兵衛、新次の新田義峰で見応えのある芝居になった。

 

ところで国立劇場の伝統芸能伝承者養成事業は昭和45年に始まった。歌舞伎俳優の分野では現在、全俳優299人中、96人が研修修了生。3分の1を占めている。歌舞伎に欠かせない竹本(義太夫)では圧倒的な占有率を示す。太夫では16人中、15人、三味線では15人中、12人。研修なしではやっていけなくなりそうだが、国立劇場の関係者によると、おしなべて研修の応募者は少ないという。このあたりに歌舞伎の問題点がありそうだ。

 

(伝統文化新聞にも掲載します)

 

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