2017年6月22日 (木)

地人会新社「これはあなたのもの1943ウクライナ」評

<見>米国のノーベル化学賞受賞者でユダヤ人のロアルド・ホフマンが書いた異色の自伝的戯曲。川島慶子訳、鵜山仁演出。
 神と天使が人間界を俯瞰して見るようなコミカルなシーンのあと、場面は1992年米国カルフォルニアに。かつてウクライナから移住したユダヤ系のフリーダ(八千草薫)と息子で医師のエミール(吉田栄作)、そしてエミールの妻タマール(保坂知寿)たちの住む家に、第二次世界大戦中、ウクライナでフリーダや幼いエミールをかくまってくれた家族の1人(かとうかず子)が訪ねて来ることになり、フリーダは重い口を開き、ナチス・ドイツだけでなくウクライナ人やソ連人から迫害を受けた苛酷な過去を語り始める。
 八千草は第一次世界大戦以降を支配国が次々と変わり、そのたびに迫害を受けたウクライナのユダヤ人の悲しみを抑制の効いた演技で表現する。八千草らしい控え目な芸質は、かえって迫害への怒りを大きくした。適役である。
 人間の持つ限りない憎悪に暗澹となる一方、憎悪を英知で打ち破れと呼びかける作品である。
21日所見。
――25日まで新国立劇場小劇場で上演。

2017年6月21日 (水)

焦点・国立劇場の「日本音楽の流れⅠ―筝―」

国立劇場の新邦楽シリーズ「日本音楽の流れⅠ―筝―」が10日、東京・三宅坂の国立劇場小劇場で上演された。「こと」と呼ばれる弦楽器10種余りを発展順に紹介、楽器の変遷だけでなく歴史をも感じさせる。演奏者のインタビューもあり興味深い公演であった。
上演の順を追うと。
① 御神楽(みかぐら)「菅掻(すががき)」「阿知女作法(あじめさほう)」。(和琴=大窪永夫)
雅楽「爪調(つましらべ)」「越殿楽(えてんらく)」(楽筝=大窪)
② 「近世までの筝曲について」
筑紫筝曲「花の宴」「帰雁」より(筑紫筝=唯是雅枝)
八橋流筝曲「輪舌」「扇の曲」より(筝=てん・仁智)
琉球筝曲「六段菅攪(ろくだんすががち)」「対馬節」より(長磯筝=名嘉ヨシ子)
③ 生田流筝曲「越後獅子」(五八筝=菊珠三奈子)
山田流筝曲「ほととぎす」(筝=山登松和)
④ 「近代からの筝曲について」
京極流筝曲「おもひで」より (本間筝=和田一久)
現代筝曲「火垂(ほた)る」より (十七絃=石垣清美)
現代筝曲「三十絃のための独奏曲」より(三十絃・宮下秀冽)
⑤ 新作委嘱初演の現代曲「過現反射音形調子」(筝=中島裕康、唐筝=吉澤延隆、琴=日原暢子、二十五絃筝=木村麻耶)
① の和琴は弥生・古墳時代に確認される日本古来の5,6弦の楽器。古代ロマンを感じさせる。②は渡来した筝の日本での発展ぶりが分かり、③は十三絃筝が爛熟期を迎えていることを示している。④は弦が飛躍的に増え、音域が広がる。西洋音楽の刺激を受けたためと思う。⑤は難解、不可思議な音世界だが、未来を感じさせた。
国立劇場では昭和50年代に類似の企画を10回シリーズで開催しているが、以来30年余り経過している。先細りするジャンルの伝承支援のためにもこのシリーズの意義は大きい。次回は来年の予定で、演目は未定だそうだ。

2017年6月14日 (水)

焦点・第11回人間国宝の会

 ジャンルを超えて伝統芸能の第一人者が至芸を披露する第11回人間国宝の会が6月6日、東京・三宅坂の国立劇場小劇場で開かれた。
 オープニングは「新内三番叟」。新内仲三郎(三味線=人間国宝)と長男・新内多賀太夫(浄瑠璃)が、亀野直美らのひとみ座乙女文楽の人形と共演、軽妙に幕を開けた。続いて、清元清寿太夫(浄瑠璃=人間国宝)と清元梅吉(三味線=同)でにぎやかに「神田祭」。
そして出演した国宝5人による「トーク」のあと、奥村旭翠(琵琶=人間国宝)が迫力ある「茨木」を臨場感たっぷりに弾き語った。最後は仲三郎、多賀太夫と堅田喜三久(囃子=人間国宝)で「尾花の子守歌」。母の情をたっぷりにじませて会を閉じた。
「トーク」で主催者の石川雅己千代田区長は、過去10回の公演で55人の人間国宝中、28人が出演したと胸を張った。なるほど、半数が参加したことになる。人間国宝というインパクトの強い尊称で伝統芸能の普及振興に寄与したことと思う。ちなみに、人間国宝とは通称で、正式には重要無形文化財保持者である。
 また、会の後半には天皇皇后両陛下のご観劇があった。ご着席、ご退席には満員の客席から大きな拍手が鳴り響いた。関係者の大いなる喜び、励みになったことと思う。
 さて、会の開催に尽力している新内仲三郎はこの4月、新内冨士元派の家元を長男剛士(現多賀太夫)に譲り、宗家に就任した。宗家と家元の違いについて、「会社でいえば社長から会長になったようなもので、派の運営は剛士に任せる。いつまでも年長者が仕切っていては発展がない。私は相談には乗りますが、演奏活動が中心になります」と話す。名取についても家元の判断にゆだねるという。潔さに敬意を表すると共に新内の発展を祈る。=敬称略
(伝統文化新聞にも掲載します)

2017年6月 9日 (金)

六月歌舞伎鑑賞教室評

<見>前半の「歌舞伎のみかた」は隼人の解説。過去に何度か担当しているが、史上最年少、高校生解説といわれた7年前に比べると、格段の落ち着きがあり、客席をつかむ技量が付いた。そして何より客席の心をつかんだのは、自ら立ち回りと獅子の毛振りで汗をかいたことだ。最後に舞台の写真を携帯電話で撮影し、ネットにアップして歌舞伎普及に協力してほしいと舞台中央や花道でポーズをとった。隼人のアイデアだそうだ。舞台の撮影禁止の“岩盤規制”に風穴を開けたということか。感心した。
 芝居は歌舞伎十八番の「毛抜」で、錦之助の粂寺弾正。こちらも12年前の初演時に比べるとしっかり荒事の声になっている。腰元巻絹(孝太郎)や若衆の秦秀太郎(隼人)にちょっかいを出す件も愛嬌がある。悪者の八剣玄蕃(彦三郎)を討つ件は力強く、幕外の引っ込みも安定感がある。磁石を使った奇抜な悪だくみを見破る正義の味方をおおらかに演じた。
 五月に襲名したばかりの彦三郎が玄蕃を大敵に作り、舞台を弾ませた。
ほかに友右衛門の小野春道、秀調の秦民部、橘三郎の小原万兵衛、梅丸の錦の前、尾上右近の小野春風。
7日所見、
――24日まで国立劇場大劇場で上演。

2017年6月 8日 (木)

六月大歌舞伎評

<見>昼の部は「名月八幡祭」で幕が開く。松緑が深川芸者・美代吉(笑也)にだまされて狂い、凶行におよぶ縮屋新助に挑戦。神妙に演じているから、田舎の真面目な商人の感じが出て、予想外の健闘。笑也はもっと奔放さがほしい。猿之助が美代吉の情夫・船頭三次。こちらはダニのような小悪党ぶりがいい。猿弥が貫禄ある魚惣で、存在感を示す。
 続く「浮世風呂」は猿之助が三助・政吉で女なめくじ(種之助)との色模様を見せたり、若い者相手に所作立てを見せたり。常磐津に乗りお家芸をきびきびと踊る。
 「弁慶上使」は吉右衛門の弁慶で重厚な時代物になった。弁慶は18年前に生涯たった一度交わした女性との契りで出来た娘・しのぶ(米吉)の存在を知るが、主君義経の正室・卿の君(米吉二役)の身替わりとして殺す。その首と、頼朝に身替わりを悟られないようにと切腹した侍従太郎(又五郎)の首を抱えて花道を去る。現代ではありえない悲劇を歌舞伎芝居として納得させるるのが近年のこの人の芸の高さである。雀右衛門がしのぶの母・おわさ。吉右衛門の高い芸を支える好演。又五郎も深みのある侍従太郎で同様の好演。葵太夫の義太夫も悲劇を盛り上げた。
 夜の部は「鎌倉三代記」の「絹川村閑居の場」から。幸四郎の安達藤三郎実は佐々木高綱。雀右衛門の時姫、松也の三浦之助、秀太郎の三浦之助母・長門。幸四郎の藤三郎の飄逸な芸もいいが、ここは松也の瑞々しい若さが光る。そして「弁慶上梓」で母・おわさを好演した雀右衛門が若い姫のけなげさを出している。しかも三姫としての格もある。
 「御所五郎蔵」は仁左衛門の五郎蔵に左團次の星影土右衛門。「五條坂仲之町」の出会いは、仁左衛門の口跡がいささか気になったが、やはり豪華で大きい。歌六の甲屋与五郎。「甲屋奥座敷」に変わって、雀右衛門の傾城・皐月。後ろ髪引かれる思いの五郎蔵への愛想づかしで聴かせる。今月は三役とも結構。
 最後は「一本刀土俵入」で、今月一番見応えがある舞台。力演の役者がうまくぶつかりあったからであろう。
 幸四郎の駒形茂兵衛は「取手の宿」で、夢と希望と空腹の純なふんどし担ぎ。10年後、世話になったお蔦に恩返しに行く「布施の川べり」からは、社会の裏を知ったやくざになっている。きりっとしたやくざになっても強いだけでなく、優しさがあるのが、この人らしい。
 猿之助のお蔦。茂兵衛に金を恵む酌婦の時は地声に近い声で荒んだ様を出している。能の如き演技。「お蔦の家」では一転、娘思いのいい母である。頭突きで茂兵衛を思い出す件もうまい。猿弥の船戸の弥八もいい。「取手の宿」では単なる無法者ではなく、軽薄さがよく出ており、「布施の川べり」ではひとかどの親分だ。10年の歴史がくっきり刻まれているから芝居が面白い。
 歌六の波一里儀十、松緑の船印彫師辰三郎、松也の掘下根吉も短い出番ながらいい味を出している。由次郎の清大工、錦吾の老船頭が、利根川ののどかな情緒を醸し出すまであと一歩である。
4日所見。
――26日まで歌舞伎座で上演。

2017年6月 4日 (日)

東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」評

<見>ヴィクトル・ユゴーの小説を原作とするロンドン産ミュージカル。日本でも初演以来30年間、人気を維持しているが、4年間の新演出で一段と引き締まった舞台になっている。
近年は複数キャストによる交互出演で長期公演するのが常態になっている。ミュージカル俳優育成にも貢献していると言える。
 初演時と異なり、歌唱力より知名度を優先させた出演者はいない。今回観劇した出演者を見てみる。
福井晶一のジャン・バルジャン。優しさがあり、適役。主役として舞台全体を包み込む大きさを構築していくことが課題である。
 バルジャンを追うジャベールは川口竜也。一昨年も拝見したが、バルジャンと対峙するにふさわしい大きさがある。わずかに欠けているとすれば敵役の憎々しさ。
 二宮愛のファンテーヌは去った男を思う心がいじらしく、それが娘コゼットへの愛につながっている。そのコゼットが生田絵梨花。学生マリウスを巡りエポニーヌと三角関係になるが、清楚清純の役割を果たしている。エポニーヌは松原凛子でコゼットとは対照的な泥に染まった娘を好演している。勝気な中に悲しみを漂わせる。海宝直人が真面目なマルウス。
 橋本じゅんのテナルディエが意外に拾い物。バルジャンの聖に対する俗、尊に対する卑がよく出ている。笑いの役割もそれなりに果たしているが、欲を言えば軽薄さがほしい。谷口ゆうながその女房、マダム・テナルディエ。体当たりの演技で悲哀もにじませ結構。
 相葉裕樹がアンジョルラス。革命を象徴する存在感があった。
2日所見。
――7月17日まで帝劇で上演。

2017年5月29日 (月)

文学座アトリエの会「青べか物語」評

<見>山本周五郎の同名小説を戌井昭人が脚色、所奏が演出した。
舞台は60年ほど前の、欲望を剥き出しにした貧しい漁師町、浦粕だが、最後に今は巨大遊園地があると説明しているので場所は開発前の浦安と容易に想像がつく。
蒸気河岸先生と呼ばれる売れない小説家が東京からこの地に移り住んで見たのは、ぼったくりの居酒屋、売春婦、彼女を騙す男。押し売りの老人や子供が大手を振って歩き、正気を失った男が徘徊する。何とも猥雑な町である。それに不条理劇の味を加えて展開される世界は日本の原風景に思えるから憎めない。管理社会をあざ笑うと共に、ラフな昔への郷愁を感じさせる芝居である。
 先生に青べかと呼ばれるボロ船を売りつける芳爺を演じる坂口芳貞が面白い。アクの強さが目を引く。
 先生を傍観者的に淡々と演じる上川路啓志ほか、つかもと景子、押切英希、高橋紀恵らが好演している。
25日所見。
――26日まで文学座アトリエで上演。

2017年5月17日 (水)

焦点・桐竹勘十郎、「著書と語る」で会見

 文楽の人気人形遣い、桐竹勘十郎さんが、「一日に一字学べば」(コミニケ出版)を上梓した。5月9日に日本記者クラブ(東京・内幸町)の「著者と語る」で会見、あれこれ話した。
 出版社から修業時代について執筆するよう依頼され、昭和42年に三世吉田簑助師匠に入門して以来の半世紀を思い返していると、いろんなことがあり、一冊の本になったと出版の経緯を説明した。
中学3年で入門、翌年卒業して人形遣いの仲間入りする。しかし、父(二世桐竹勘十郎)が人形遣いだったからではなく、人手不足のため、と笑う。当時、人形遣いは淡路島から手伝いにきている人を含めても、わずか27人(現在は42人)。人形は3人遣いのため、10体出る芝居は出来なかった、と振り返る。入門の動機について、文楽に興味はなかったが、舞台裏を見て、「すごい」と思ったことを挙げる。
著書のタイトルは、「菅原伝授手習鑑・寺子屋」の菅秀才の台詞。「少しづつ学ばないと人形遣いも上達しないから」と由来を説明した。
修業について「足遣いから始まるが、そのとき、基礎を学ぶ。だから合理的な修業方法」と言い、人形の魅力については、「人間ができることは何でもでき、それ以上のこともできる」と胸を張った。
さて、自著の紹介、人形操作の解説のあと質問に入った。
筆者は太夫、三味線、人形遣いの文楽三業の中でも最も人気が高く、リーダー的存在の勘十郎さんの会見であるから、本を離れ、文楽のふたつの危機について質問した。
 ひとつは切り場語りの太夫が1人しかいない現状について。
「今、三業で80人ちょっといます。昔から見ると増えており、研修生も育っています。ただ、切り場語りと呼ばれる、実力と経験を積んだ太夫さんが1人になってしまいました。頼りにしていた方々が引退されたり、亡くなられたことがここ数年続いており、危機的な状況かもしれません」と説明。「若い人が舞台の経験を積んで実力をつけていくことしかありません」と加える。
その対応策も語った。「幸い人形の見た目でやっていけるなら、人形が頑張っていきます」。ここは人形遣いの頑張り時というわけだ。その一方、「三味線が太夫を育て、また太夫が三味線を育てるやり方をとっています。三味線の(鶴澤)寛治師匠(人間国宝)も(鶴澤)清治兄さん(同)も元気ですから、若い太夫が勉強していただきたい。太夫の声になるのには20年かかると言われます。ちょっと時間がかかるかもしれませんが、文楽全員で次の時代につなげていきたい」。
そして、もうひとつの危機は、近年厳しい地元大阪の補助金。これには「なんとか乗り越えていくしかありいません」と答えた。
「大きな会場でできる芸能ではない。大阪の国立文楽劇場が752席。東京は600弱。これが限度。本当であれば人形の細やかな表情を見ていただける300席ほどの会場がいいでのすが」と本音を吐露しながらも、「300年続いている文楽を私たちの時代で絶やさないように頑張っていきたい」と決意を披露した。
 三業の助け合いでつなぐ伝統。貴重な芸能の存続発展を願う。(伝統文化新聞にも掲載します)

2017年5月14日 (日)

前進座「裏長屋騒動記」評

<見>映画の山田洋次監督が監修・脚本。演出は小野文隆。らくだの馬の死体で大家を脅す「らくだ」と清廉潔白な若侍と素浪人の娘が結ばれる「井戸の茶碗」。ふたつの古典落語をいずれでも活躍する屑屋を使って巧みに重ね、心温まる爆笑の新作歌舞伎を作った。
 出演者を見ていく。
嵐芳三郎が紙屑屋久六。達者な話芸で狂言を回し、主役の責務を果たした。
清雁寺繁盛が、らくだの馬。落語では死体だが、本作ではふぐに当たって死ぬ前から登場する。生前の傍若無人ぶりが分かる。
 藤川矢之輔が、死体を踊らせて大家を脅かす緋鯉の半次。いつもより突き抜けた芸で、やくざ者の凄みを効かす。監修者が求めるリアルな演技をして好演。
 忠村臣弥が、買った仏像から出てきた五十両を元の所有者に返すべきだと譲らない正直者の高木作左衛門。真面目な若侍をさわやかに演じている。
 今井鞠子が千代田朴斎の娘お文。けなげで可憐。作左衛門の嫁に求められ、はっきり自分の言葉で受諾を語る。ここが、従来からの「文七元結」などと異なる新しさであろう。
 珍しく男を演じているのが女形の河原崎國太郎、赤井綱正で、奇人の如き殿様。短い出演時間の中でたっぷり笑わせ、存在感を示した。
 ベテラン武井茂がいい。貧乏浪人ながら、売った仏像の中から出てきた金は受け取らないと言い張る千代田朴斎。清貧に耐える古武士の風格と娘への父性愛が漂う。
11日所見。
――22日まで国立劇場大劇場で上演。

2017年5月13日 (土)

東宝ミュージカル「グレート・ギャツビー」評

<見>米映画でも知られるF・スコット・フィッツジェラルドの小説を小池修一郎が脚本・演出。音楽はリチャード・オベラッカー。
 禁酒法時代のアメリカ。二枚目で教養高い謎の富豪ギャツビー(井上芳雄)が夜ごと豪華なパーティーを開いている。それはかつての恋人デイジー(夢咲ねね)との再会を目論んでのこと。しかし、正体が暴かれていく。
 ギャツビーの演じどころはふたつある。ひとつは上流エリートとしての表の顔と、反社会勢力のボスとしての顔を演じ分けること。そして、デイジーの母に、家柄違いだからと交際を断られたことに対する屈折した心理を表現すること。井上はいずれもうまく表現した。俳優として成熟しつつあることを示している。
 近年、映画ゆかりの舞台に取り組んで成果を挙げているが、歌唱に関して言えば「シェルブールの雨傘」ほどのインパクトはなかった。
 夢咲は戦争と母の仕打ちで最愛の人と結ばれなかった女性の悲しみを的確に出した。田代万里生が善良な隣人ニックを好演した。ほかに広瀬友祐、畠中洋らの共演。
10日所見。
29日まで日生劇場で上演。

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