2019年1月15日 (火)

初春歌舞伎評

海老蔵が昼夜合わせて7演目の内、5演目を主演。海老蔵奮闘公演である。

順を追って見てみる。

昼の部の幕開きは「鳥居前」で、獅童の狐忠信。メリハリが効いた佐藤忠信のあと、狐忠信の力強い狐六方で引っ込んだ。すっかり病気回復の様子。

九團次の弁慶、國矢の早見藤太が健闘。友右衛門の義経。廣松の静御前。

次の「極付幡随長兵衛」は、海老蔵の長兵衛。「村山座」で狼藉者を諭し、懲らしめる長兵衛に、この若さにして十分貫禄がある。「水野邸」での大旗本水野との堂々たる対応、「湯殿」での迫力ある立ち回り。今月の5役のうち最もいい出来だ。

海老蔵長男堀越勸玄が長兵衛倅長松で出演。「長兵衛内」でかわいさと愛嬌をふりまく。出尻清兵衛(男女蔵)とのやりとり、「子別れ」の台詞もうまい。当然ながら大受けである。

右團次が体調不良の左團次に変わり、水野十郎左衛門。大旗本を意識したのか、大仰な台詞回しが気になるものの存在感は十分。孝太郎が長兵衛女房お時で侠客の女房らしい気丈さと情を出した。今月一番見応えのある舞台になった。

昼の最後は「三升曲輪傘売」で松岡亮の作。海老蔵が傘売りとなって吉原に現れるが、その傘売りこそ実は石川五右衛門だった。海老蔵は傘の奇術を巧みに披露する。華やかにショーアップされた舞台。海老蔵の意外な一面を見た。

夜の部は歌舞伎十八番の「鳴神」から。右團次が鳴神上人。昼の部の水野のような肩に力の入った台詞ではなく、滑らか。雲の絶間姫に籠絡される件が面白い。児太郎の雲の絶間姫。瑞々しさを買う。

「牡丹花十一代」は十一世市川團十郎生誕百十年記念の作品。海老蔵が鳶頭で出演するが、長女堀越麗禾が手古舞、長男勸玄が若頭で登場する。二人の子供たちは揃ってあいさつがうまく、喝采を浴びていた。孝太郎や右團次も顔を出し、にぎやかな一幕。

次が「俊寛」。海老蔵が俊寛僧都。荒事の似合う人がよれよれの流人役で芸域を拡げている。リアルな芝居だ。「思い切っても凡夫心」で未練心が爆発し、岩頭で平常心に戻る。妻の東家を失った悲しみが伝わる。

右團次が丹左衛門で、上出来の捌き役。市蔵が憎々しい瀬尾。児太郎が可憐な千鳥。男女蔵の平判官、九團次の丹波少将。

最後が新歌舞伎十八番の「鏡獅子」。海老蔵が女小姓弥生と獅子の精。堂々たる立役が女形を踊る。これは九代目團十郎を偲んでのことだろう。何度か見ているので弥生も違和感はないが、やはり後ジテの獅子が豪快でいい。

新橋演舞場で6日所見。

2019年1月11日 (金)

初春大歌舞伎評

昼の部は「舌出三番叟」から。芝翫の三番叟は軽妙というより豪快。力強くて面白い。魁春の千歳。

続く「吉例寿曽我」は、「寿曽我対面」の工藤を奥方椰の葉に置き換えた今井豊茂の作品。昨年9月に舞台復帰した福助が、4か月ぶりに舞台出演、奥方を演じた。どれほど体調が戻ったか分からないが、とにかくめでたい。

芝翫が威勢のいい曽我箱王(五郎)、七之助の曽我一万(十郎)。

「吉田屋」は幸四郎が上方和事の伊左衛門に挑んだ。芸域を拡げる意欲が感じられ、結構である。ただし、声を高くしているせいか、女形の声に聞こえるのが気になる。七之助の夕霧は情があり上出来。

秀太郎は喜左衛門女房おきさで上方の味を漂わせる。

昼の部の最後は「一條大蔵譚」。白鸚が大蔵卿に取り組んだ。理性的な芸を見せる俳優なので作り阿呆をどう演じるかに注目したが、さすがに源氏再興を願う正気と呑気な阿呆を鮮やかに演じ分ける。梅玉の鬼次郎、雀右衛門の鬼次郎女房お京、魁春の常盤御前、高麗蔵の鳴瀬、錦吾の八剣勘解由と周りもそろい充実した舞台になった。

 

夜の部は「絵本太功記・尼ヶ崎閑居の場」から。吉右衛門の武智光秀は期待通り光秀の大きさを出し、戦乱の風を呼ぶ。

幸四郎が十次郎。若武者のこの役は似合う。米吉の嫁初菊も好演。

秀太郎が病気休演の東蔵に変わり光秀母皐月。歌六の真柴久吉、又五郎の佐藤正清。実力派が脇を固めた。

「勢獅子」は梅玉、芝翫の鳶頭、魁春、雀右衛門の芸者。常磐津に乗り、大人の江戸をにぎやかに。

最後は「松竹梅湯島掛額」。人の心身を柔らかくする「お土砂」の力と八百屋お七の恋をからめた。猿之助がお土砂を日里巻き笑いを取る紅屋長兵衛。七之助が八百屋お七。前半は優柔負担な大店の娘で笑いを取り、大詰「火の見櫓の場」では人形ぶりと櫓に登り太鼓を打ち鳴らし見せ場を作った。

――歌舞伎座、4日所見。

 

2018年12月15日 (土)

焦点・端唄根岸流三代目家元披露公演

レディース・アンド・ジェントルメン・・だったと思う。暮れの9日に東京・紀尾井小ホールで開かれた端唄根岸流三代目家元披露公演で新家元の根岸禮知は一部だが口上を流暢な英語で語った。苦手な英会話に一瞬たじろいだが、新鮮にも感じた。

 

ここでまず端唄と根岸流について書いておく。端唄は江戸時代から明治にかけて流行した庶民のはやり唄。しかし戦後は小唄の隆盛とは裏腹に衰退。そこで小唄の師匠をしていた根岸登喜子が端唄の再興に尽力、端唄根岸流を興し初代家元に就任した。初代没後、弟子の根岸禮が二代目を継承していたが、今回、根岸禮知に三代目を譲り、自らは宗家となった。また、副家元に根岸禮香を置いたのである。

 

新家元は公演パンフレットの中での挨拶文で、端唄は幼少期より身近にあった。その後、カリフォルニア大学の大学院で学び、現在、大学教員。この経歴が英語の口上につながったようだ。

 

挨拶文にたサマセット・モームの言葉を英語で紹介している。日本語訳だけを紹介する。「伝統とは道案内であって看守ではない」。この言葉を受けて新家元は「伝統を真摯に学び、いつか私なりに道案内のお手伝いができるようになりたいと願っています」と結んでいる。

 

初代はかつて「(端唄という)美しい日本語の唄を命の限り唄い続けてまいります」と記していた。二代目は新曲を作詞作曲し世に送り出した。三代目にはその上に国際感覚を加え端唄の道を切り開いてほしい。

 

披露公演で最も印象的だったのは第三部「ピアノで端唄を」。ピアノに合わせて立って唄う。邦楽では珍しく新鮮。禮は「春雨」を艶っぽく、禮知は「梅は咲いたか」を軽快に唄った。ただし、これは既に初代が実践していることだそうだ。=敬称略(伝統文化新聞にも掲載します)

 

 

 

2018年12月11日 (火)

歌舞伎座十二月大歌舞伎評

大看板は玉三郎一人、あとは花形若手の布陣だが、昼夜に充実した芝居が並ぶ。昼の部は松竹新喜劇の当たり狂言を歌舞伎化した「幸助餅」から。

相撲取りに入れあげ身代を失う幸助が発奮して立ち直る上方喜劇である。

松也が幸助。若手の中の芸達者だが、和事の役をうまくこなした。今月の収穫である。

中車が幸助の入れあげた関取・雷(いかずち)。二度目だが、声を低くし関取の貫禄を出している。幸助と対峙する場面は緊迫感を漂わせた。

萬次郎の茶屋の女将お柳、笑三郎の幸助女房おきみもいい味が出て、心温まる芝居になった。

「お染の七役」は壱太郎を大抜擢。油屋娘お染、恋仲の丁稚久松、久松許嫁ぉ光、奥女中竹川、芸者小糸、土手のお六、お染の母貞昌の七役を早変わりで見せる。奮闘している中で、若い娘役のお染、お光、そして若衆の久松は当然ながらまずまずの出来。意外にうまいと思ったのは竹川。奥女中の格式を感じさせた。一方でまだまだなのは悪婆の土手のお六。強請り場に研究の余地あり。

中車の久作、松緑の鬼門の喜兵衛、彦三郎の山家屋清兵衛。

 

夜の部は「阿古屋」から。遊女阿古屋が琴、三味線、胡弓を奏で身の潔白を証明する女形の大役である。今回はこれを当たり役にしている玉三郎が2人の若手梅枝と児太郎に伝承する。3人が日替わりで阿古屋を演じるのだが、若手の出演の日は玉三郎は敵役の岩永で出演するというおまけまで付いている。これは若手にとって相当のプレッシャーになったであろう。

玉三郎と梅枝の阿古屋を拝見したが、玉三郎の場合、箏、三味線、胡弓の演奏は阿古屋の哀しみを表現する演技の中にあった。梅枝も健闘したものの、その域にはまだ距離があった。しかし、幸せなスタートを切ったのではないか。伝承の重みを感じさせる一幕。

彦三郎が秩父庄司重忠。口跡よく、捌き役の素質をのぞかせた。

「あんまと泥棒」はずるがしこいあんま秀の市が忍び込んできた泥棒権太郎をだまし金をせしめる喜劇。

中車が秀の市。三度目ですっかりこの役を手にしている。愛嬌たっぷりに演じることも出来る役だが、強欲な線で通し成功している。

松緑が泥棒の権太郎を好演した。人間味も愛嬌もほどよく出た。

最後は舞踊。玉三郎が阿古屋を勤めるときは梅枝と児太郎で華やかな「二人藤娘」、それ以外は玉三郎の幻想的な「傾城雪吉原」。

――3日,4日所見。

2018年12月 2日 (日)

焦点・歌舞伎界、五杯の宝船

「年の瀬や~」の発句が脳裏をよぎる師走。歌舞伎界のこの一年、五杯の宝船を見た。実り多い年であった。

幕開きは正月と二月の歌舞伎座。二代目松本白鸚・十代目松本幸四郎・八代目市川染五郎の高麗屋三代襲名に沸いた。「車引」「寺子屋」「一力茶屋」などで高麗屋の勢いを見せた。

五月歌舞伎座は十二代目市川團十郎の五年祭。「雷神不動北山桜」で長男の市川海老蔵が八面六臂の大活躍。すでに座頭経験も豊富だが、泉下の父親も安堵しているであろう。

八月の新橋演舞場で坂東巳之助が新作歌舞伎「ナルト」で主演した。大劇場一か月公演での主役は初めてではないか。堂々とその責務を果たした。三年前に他界した父・坂東三津五郎も喜んでいるに違いない。

九月の歌舞伎座秀山祭で長らく舞台を休んでいた中村福助が「金閣寺」の慶寿院尼で舞台復帰した。短い出番だったが、めでたいことだ。得難い女形である。今後に期待したい。

十月歌舞伎座と十一月平成中村座は十八代目中村勘三郎の七回忌追善公演。中村勘九郎・七之助兄弟が「実盛物語」「狐狸狐狸ばなし」など熱演、立派に施主を勤めた。

このうちの海老蔵、福助、勘九郎はその子供たちもすでに人気を集めている。

伝統をつなぐことこそ宝船。来年も多くの宝船を見たいものだ。=敬称略

(伝統文化新聞にも傾城します)

2018年11月12日 (月)

国立劇場十一月歌舞伎評

梅玉を座頭とする通し狂言「名高大岡越前裁」。小坊主・法沢が老婆を殺して徳川将軍ご落胤の証拠の品を奪い、ご落胤になりすまし、天一坊を名乗って将軍家に迫る河竹黙阿弥の大岡物。

梅玉の大岡越前。魁春の妻・小沢。市川右近の一子・忠右衛門。右團次の天一坊。彌十郎の天一坊重臣・山内伊賀亮。

梅玉は持ち味を生かしたソフトでリベラルな大岡。天一坊が偽物であると主張し、一子・忠右衛門と共に窮地に陥る「大岡邸」。探索方から吉報が届かないと切腹するほかないのだ。塩冶判官のように心静かに家臣を待つ梅玉の大岡。

梅玉の静に対して、彦三郎がか感情をストレートに表す家臣・池田大助で場にアクセントを付けた。そして梅玉と共に場を盛り上げたのは葵太夫の竹本である。午後3時直前に語り終えたが、4時半からの歌舞伎座「楼門五三霧」に出演している。感心した。

右團次が純朴な青年から希代の詐欺師に変貌する様をうまく演じている。

(6日)

2018年11月 7日 (水)

吉例顔見世大歌舞伎評

昼の部は「お江戸みやげ」から。時蔵のお辻。又五郎のおゆう。梅枝の阪東栄紫。尾上右近のお紺。笑三郎の市川紋吉。東蔵の文字辰。

大看板や人気俳優が水準の高い舞台を見せる中、普段相手役や脇役の多い時蔵と又五郎の好演で、この演目が今月一番心に響いた。おばあさんと呼ばれるようになった締まり屋のお辻は田舎から江戸に出て反物の行商をしているが、酒に酔った勢いもあり、初めて惚れた男、若い歌舞伎役者・栄紫の恋を成就させるため大金を投げ出す。時蔵はお辻の過去の満たされなかった人生の哀しさを巧みに漂わす。お辻の行商仲間のおゆうは酒好きで陽気。又五郎はお辻を気遣う気持ちをうまく出す。ベテラン2人が情の通う芝居を作った。

次の「素襖落」は狂言舞踊。松緑の太郎冠者。坂東亀蔵の太刀持鈍太郎。巳之助の次郎冠者。種之助の三郎吾。笑也の姫御寮。團蔵の大名某。

松緑が軽快な踊りで笑いを取る。

昼の最後は河竹黙阿弥の白浪物「十六夜清心」。菊五郎の清心。時蔵の十六夜。梅枝の恋塚求女。又五郎の船頭三次。吉右衛門の俳諧師白蓮。

大ベテランの菊五郎が女犯の罪に苦しむ青年僧を何なく見せるのは芸の力。「しかし待てよ」で悪の道に足を踏み入れる変貌ぶりは愉快である。お辻でおばあさんを演じた時蔵が十九の遊女十六夜をそれらしく演じてのけるのも歌舞伎の醍醐味である。

この作品で清元延寿太夫の二男・栄寿太夫が歌舞伎初御目見得。この青年、実は今月も「お江戸みやげ」と「法界坊」に娘役で出ている俳優。若々しい美声を聴かせたが、歌舞伎界の二刀流になるか。期待したい。

 

夜の部は「楼門五三桐」から。吉右衛門の石川五右衛門。菊五郎の真柴久吉。歌昇の右忠太、種之助の左忠太。

余人をもって代えがたい吉右衛門の五右衛門。「絶景かな」は舞台のみならず、客席まで五右衛門の大きさが充満してくるから不思議である、痛快である。

雀右衛門の「文売り」。情を細やかに丁寧に踊る。

最後は奈河七五三助作を石川耕士が補綴した「法界坊」。猿之助の法界坊。歌六の道具屋甚三。門之助のおらく。隼人の手代要助。種之助の野分姫。尾上右近のおくみ。雀右衛門の渡し守おしづ。

近年、法界坊は悪人だが愛嬌がありどこか憎めない人物として演じられることが多い。当代猿之助とはいささか仁が違うと思っていたら、やはり少し違う人物になっていた。猿之助は極端に声を荒くし、極悪人に見せている。従って、愛敬で笑いを取ることは抑えられているが、すっきりした出来である。それは大詰めの「双面」で妄執を盛り上げるのに効果的であった。(5日所見)

 

2018年10月24日 (水)

焦点・市川團十郎の創作歌舞伎「黒谷」

 

十二代目市川團十郎が三升屋白治の筆名で歌舞伎脚本「黒谷」を書いている。伝統文化新聞に執筆中の連載企画「多彩に輝く成田屋」に登場するのだが、読んでみると意外性に富み、親子の情愛に満ちた質の高い時代物である。

 

主人公は時代物浄瑠璃の名作「一谷嫩軍記」の三段目「熊谷陣屋」で活躍する源氏の武将・熊谷次郎直実。一谷合戦でうら若き平家の公達敦盛を追い詰めるが、主君・源義経から敦盛は後白河法皇の御落胤であるから討つなと命じられていたため、やむなく同じ年ごろのわが子・小次郎直家を身代わりに討つ。しかし世の無常を悟り、僧・蓮生となり出家、「十六年はひと昔」の名台詞で花道を引っ込む。本作はその後日談である。

 

蓮生すなわち直実がわが子・直家の菩提を弔おうと比叡山の黒谷に来ると、亡霊と思しき3人が次々と現れる。

 

青葉の笛の音と共に姿を見せた敦盛は、助けられたことに感謝するどころか、助けたのは義経の出世欲のためだ。育ての父・平経盛を実の父のように慕い、討ち死にの覚悟はできていた。生き延びたため平家の無残な姿を見てしまった、と散々に恨み事を言うのだ。

 

次は敦盛の許嫁・玉織姫。今わの際に直実に差し出され、抱いた首は敦盛ではなく小次郎であったため悲嘆にくれている。

 

2人の嘆きを聞いた直実は後悔し、慟哭するが、最後にわが子・小次郎が現れ、武士の道ゆえ仕方ないと優しく慰めてくれるのである。

 

鶍の嘴と食い違う人の世の皮肉、かけがえのない生と死の重み、恩愛の情による救いを時代物らしい風格のある義太夫節の詞章で語っている。

 

闘病中に執筆、平成21年に名古屋むすめ歌舞伎で初演、24年の日本舞踊・市川流リサイタルで再演されているが、まだ拝見していない。作り方次第で傑作舞台になる。再演を望む。

 

(伝統文化新聞にも掲載します)

 

2018年10月11日 (木)

東宝「おもろい女」評

戦前、戦後の混乱期を疾走した天才漫才師ミス・ワカナの短くも激しい生涯を描いた名作。ワカナは大女優森光子の当たり役だったが、3年前に藤山直美が受け継いだ。今回は直美が病から復帰して再演に取り組んでいる。作・小野田勇、潤色・演出・田村孝裕。

芸能の分野で偉大な先人の名作をカバーしても成功したと思えるものは少ない。それは、先人の個性が強く塗り込まれているからであろう。しかし、本作は違う。先人の遺産を継承し、さらに上を目指している。再演を見てそう思った。

では、なぜ成功したのか。漫才シーンで、相方の夫・一郎(渡辺いっけい)を早口でまくしたてる。これはこの人の武器である。戦地で世話になった軍人の訃報に接し、ラジオで追悼の言葉を語る件は泣かせる。泣かせるのもうまい人だ。夫を捨てても芸の高みに登ろうとする激しさや冷たさの表現力はこの人ならではのもの。

要するに得意技を集めたような作品に恵まれたからである。

それに今回は、男にだまされたあげく、ヒロポン中毒になった末、死んでいくラストの「死んでたまるか」が胸に刺さる。作品を離れ、俳優自身が病気から復帰したばかりであることと重なるのである。

喜劇仕立てでありながら、心に迫る悲劇を作った。

この再演で忘れてならないのは渡辺の進歩である。気の弱い受け身の一郎を前回より、しっかり演じている。このため、ワカナの強さが際立つ。ワカナの哀れさもにじんでくる。

女性興行師役の山本陽子、漫才作家秋田実役の田山涼成が脇を固めた。

8日、シアタークリエ。

 

2018年10月 7日 (日)

芸術祭十月大歌舞伎評

十八代目中村勘三郎の七回忌追善公演。早いものである。遺児勘九郎、七之助や所縁の役者が集った。

昼の部は「三人吉三」の「大川端」から。

七之助のお嬢吉三。いい口跡で名台詞を聴かせるのだが、満点を取るには謳うように語り、観客を酔わせる必要がある。巳之助のお坊吉三。八月の「ナルト」、で腕を上げた。それが生きている。獅童の和尚吉三。三人の中のリーダーの貫禄を示している。

続く「大江山酒呑童子」は萩原雪夫作の舞踊劇。勘九郎の酒呑童子で、勢いのあるところを見せている。錦之助の平井保昌、扇雀の源頼光。

「佐倉義民伝」は今月一番見応えがあり演目。

白鸚の木内宗吾は元武士の片鱗をも見せず、ひたすら民百姓を思う優しい名主、それだけに、自分だけでなく家族も犠牲にして決行する将軍への直訴の悲劇性が大きくなる。女房への去り状から子別れに至る愁嘆場は盛り上がる。

七之助が女房おさん。白鸚との年齢差を感じさせず、情が真っすぐに伝わる。今月の三役で、もっともいい出来。歌六の渡し守甚兵衛。命がけで宗吾を助ける気骨が、宗吾の危機的状況をよく感じさせる。

夜の部は「宮島のだんまり」から。平家の赤旗を巡る古風なだんまり。扇雀の傾城浮舟、錦之助の大江広元、彌十郎の平清盛。

「吉野山」は勘九郎がきびきびした源九郎狐、玉三郎の優雅な静御前。巳之助の早見藤太は道化味が薄い。

最後は長唄による「助六曲輪初花桜」。仁左衛門の助六。花道の出からきれいに極まる。年齢を感じさせない闊達な動き。しかし、どうしても理性的に見え、物足りなさが残る。

七之助の揚巻。大役をこなすレベルに達しているが、花道の出や悪態に熟した香が欲しい。玉三郎の曽我満江は、さすがに助六の母としても重みがある。

勘九郎が白酒売新兵衛で愛嬌を振りまく。歌六の髭の意休はいささか見金杉。

3日所見。

 

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