2018年6月29日 (金)

焦点・国立劇場の資料展示室で「悪」特集

東京・国立劇場大劇場の六月歌舞伎鑑賞教室を観劇する前に、劇場裏手にある伝統芸能情報館を訪ねた。
大劇場や同じ建物内の小劇場、裏手にある国立演芸場に比べ、伝統芸能情報館はいささか地味な存在。しかし、一階の資料展示室にはシアタースペースもあり、二階は国立劇場で上演した歌舞伎公演の台本、解説資料、プログラムはもとより伝統芸能の書籍を集めた図書室、三階は100人ほど収容できる設備の充実したレクチャールームがある。利用価値のある建物なのである。
この日、一階展示室のテーマは「悪を演(や)るーー歌舞伎の創造」であった。国崩しと呼ばれる大悪人、「先代萩」の仁木弾正、公家悪と言われる敵役、「暫」の清原武衡のほか、悪婆や端敵に半道敵。歌舞伎の舞台をにぎわす悪人たちが、舞台写真や錦絵などで紹介されている。悪の華から小悪党まで勢ぞろい。概ね勧善懲悪を描く歌舞伎の世界にあって、庶民の心の片隅に残る悪への憧憬もうかがわせて興味深い。
時間の都合でシアタースペースは覗けなかったが、その前で舞台の音声が漏れてきた。悪事を追及されれる男が「詮議なし、知れざる時は切腹いたす」と堂々と答えている。中村橋之助時代の芝翫さんが演じる仁木弾正の台詞である。
これを聞くと、「~なら、辞めますよ」という誰やらの発言を思い出した。両者、何の関係もない。ただ、辞めると切腹に共通点を感じただけなのだが。そういえば、ここ半蔵門は国会議事堂も近い。
  ◇
この企画は國學院大學博物館、太田記念美術館などとの連携企画。伝統芸能情報館の展示は9月まで。(伝統文化新聞にも掲載します)

2018年6月10日 (日)

六月大歌舞伎評

菊五郎、吉右衛門の大看板2枚並んで昼夜安定した舞台。
昼の部は「三笠山御殿」から。時蔵がお三輪。求女に恋する娘心、橘姫への嫉妬心が波打つように鮮やかに出た。今月一番の高得点を付けたい。
松緑が漁師鱶七。夜の部「巷談宵宮雨」で好演するなど、このところ腕を上げているが、ここは鱶七の大きさが出ず、ものたりない。現代では許されない台詞「やれ待て女」に説得力がない。
楽善が古怪な入鹿で存在感示す。松也の求女、新悟の橘姫まずまず。芝翫の豆腐買おむらはご馳走のはずだが、判然としない。
いじめの官女で、極端に男を出して笑いを取るのはいかがなものか。
続いて菊之助が清元「文屋」を軽やかに踊る。先月の「喜撰」に続いて立役の踊り。修業の一環だろうが、踊るなら女形の舞踊を見たいというファンも多いのでは。
昼の部最後は江戸の作者・河竹黙阿弥が大坂の侠客の世界を描いた「野晒悟助」。菊五郎が、悪を懲らす侠客・野晒悟助を20年ぶりに演じる。長老の域に達しながら、若い娘、小田五(米吉)とお賤(児太郎)に惚れられるモテモテ男を照れることなく爽やかに演じるのは芸の力。ラストの立ち回りは気の毒か。
左團次が敵役・提婆仁三郎で貫禄を示す。東蔵の扇屋後家香晒、菊之助の浮世戸平、権十郎の悟助子分忠蔵も好演。
夜の部は「夏祭浪花鑑」から。こちらも大坂の侠客の話。恩ある玉島磯之丞(種之助)を助けるため悪人の舅・三河屋義平次(橘太郎)を殺す侠客・団七九郎兵衛を吉右衛門が演じる。菊五郎の野晒悟助は江戸前の侠客だが、こちらは上方の香りが漂う。「長町裏」の殺し場で「悪い人でも舅は親」と罪の意識にさいなまれる姿を鮮やかに浮かび上らせる。当たり役である。
雀右衛門が徳兵衛女房お辰で、女の意地を見せる。歌六の釣船三婦、東蔵の女房おつぎ、錦之助の一寸徳兵衛と脇もいい布陣。
今月最後の「巷談宵宮雨」は意外な拾い物。芝翫の破戒坊主の龍達、松緑の龍達を殺し金を奪う甥の太十、雀右衛門の龍達の亡霊に悩まされる太十女房おいち。3人がうまくかみ合い怪談噺を盛り上げる。特に、芝翫が強欲でだらしのない悪党をうまく演じている。橘太郎も鼠取薬売勝蔵で不思議な味を出した。
6日所見。

2018年5月25日 (金)

焦点・変わる人間国宝の会

伝統芸能の様々な分野の至宝を集めた人間国宝の会が6月3日、東京・国立劇場小劇場で開かれた。12回目の今回も国宝が至芸を披露した。
今年集まった人間国宝は4人。
新内節の新内仲三郎は最初の演目「子宝三番叟」で三味線を弾く。典雅に聴かせた。次は沖縄の歌・三線、西江喜春で琉球古典音楽「かぎやで風節」、「仲風節」。風格と哀切を感じさせた。そして、長唄の東音宮田哲男が「喜撰」。重厚と軽妙を調和させ魅了した。もう1人、この会常連でお囃子の堅田喜三久は複数演目に出演し、曲を盛り上げた。
このほか琉球舞踊の国重要無形文化財総合指定の佐藤太圭子が「花風」を情趣豊かに踊った。仲三郎長男、新内多賀太夫作曲「空海」は仲三郎、多賀太夫ら新内と真言宗僧侶による声明が共演する荘重、壮大な新作であった。
さて、今回から公演主催者が変わった。過去11回は千代田区であったが、主催を降り、後援になった。これまで企画制作をしてきた仲三郎の会が主催者を務めている。
そのためか区長と人間国宝が舞台で話す「トーク」は姿を消した。
この会は人間国宝というインパクトの強い肩書を生かし、劣勢にある伝統芸能の振興を図る貴重な企画である。事の経緯は分からないが、千代田区が伝統芸能振興の旗振り役・主催者を降りたのは甚だ残念である。個人で主催することになった仲三郎にこれからも頑張ってもらいたい。人間国宝の皆さんも協力してあげてほしい。
=敬称略
(伝統芸能新聞にも掲載します)

2018年5月 5日 (土)

團菊祭五月大歌舞伎評

今月は十二代目市川團十郎五年祭。他界して5年とは感慨深いものがある。
昼の部はその長男海老蔵が奮闘する通し狂言「雷神不動北山桜」。口上あいさつ、作品解説のあと、天下を狙う早雲王子、百歳超す安倍清行、歌舞伎十八番「毛抜」の粂寺弾正、同「鳴神」の鳴神上人、同「不動」の不動明王の5役を精力的に演じ分けるから、共演者には悪いがひとり芝居の趣である。若衆秀太郎(児太郎)や腰元巻絹(雀右衛門)をからかう粂寺弾正におおらかさがあり、雲の絶間姫(菊之助)に術を破られた上人の柱巻きの見得に迫力がある。粂寺、鳴神、不動は大きさで見せ、清行は軽く笑いを取るなど、作品を自らのものにしている。気になるとすれば、粂寺の声を高くしていることだ。他の役との違いを出そうとしているのだろうが。
共演は菊之助が雲の絶間姫を好演しているが、海老蔵が派手なだけに影が薄い。
昼の部最後は長唄舞踊「女伊達」。時蔵が小気味よく粋に踊る。
夜の部は「弁天娘女男白浪」通称「白浪五人男」から。菊五郎が最大の当たり役弁天小僧で左團次が相棒の南郷力丸。大御所菊五郎の「浜松屋」の弁天は円熟を通り越し、枯淡の域に入っている。芸で見せる武家娘、南郷との粋な花道の引っ込みは江戸の風が心地よい。
続いて義太夫物「鬼一法眼三略巻」の「菊畑」。松緑の智恵内に時蔵の虎蔵、團蔵の鬼一。
ベテラン團蔵が鬼一に挑戦しているが、花道の出の「咲いたわ、咲いたわ」で法眼としての大きさが不足。松緑も色奴にしては台詞が弾まず、時蔵も役に合わない。3人共レベルの高い役者だが、これは難しかった。前演目で、菊五郎は絶好調とは言えないまでも歌舞伎の醍醐味を堪能させた。それと比較すると寂しい。歌舞伎の難しさを感じる。
児太郎が皆鶴姫を好演。
最後は菊之助の清元・長唄「喜撰」。美女か二枚目に適したこの人にはふさわしくない役なのだろうか。それとも終演時間のためか、この演目の前で急に客席が薄くなった。踊りも盛り上がりに欠けたが、気の毒ではあった。
3日所見。

2018年4月20日 (金)

焦点・13年目の滝沢歌舞伎

東京・新橋演舞場の4,5月公演は「滝沢歌舞伎2018」。多数のアイドルを抱えるジャニース事務所のエース級、滝沢秀明を座長とする公演で、今年で13年目という。4月10日に拝見した。
今回の特色は一部、二部ともショー形式にしていること。前回までのような歌舞伎名場面は影を潜めている。
滝沢座長以下かっこいい若者たちが、きらめく光線の中、にぎやかなロックに乗って歌い踊る。時に客席の上を勢いよくフライングで飛ぶ。派手な舞台が続くかと思えば、滝沢が甘美な声でヒット曲「WITH LOVE」をたっぷり聴かせ、観客の心を揺さぶる。
滝沢と三宅健を中心にした和太鼓の乱れ打ちは見ものであり聴きものである。
本公演おなじみの源義経は洋服姿になった。小判を降らせ立ち回りで見せる鼠小僧は時代劇姿で、これまで通りだ。そして女性客のスタンディングオベーションで幕。
一段と派手になったこの公演について、滝沢はパンフレットで虹をキーワードにしたと記している。色で例えるならこれまでは朱色や淡い藤色など和のイメージだったが、今回はショッキング・ピンクやショッキング・イエローなどはっきりした色も加え、すべてを調和させる、と。それは2年後の東京オリンピック・パラリンピックを視野に入れてのことらしい。
結構なことだが、筆者は古典を乗り越え、新しい傾き(かぶき)を創造する原動力になってほしいと願う。
さて、今回の滝沢歌舞伎で注目したことがもうひとつ。それは名古屋の老舗大劇場・御園座の再開場こけら落としで上演されることである。四月の高麗屋三代襲名大歌舞伎、五月のスーパー歌舞伎Ⅱに続いて、六月に滝沢歌舞伎。こう並ぶと松竹は滝沢歌舞伎を第三の歌舞伎として認識していると見るべきだろう。
滝沢が三大歌舞伎のひとつに選ばれたと喜ぶのもむりはない。=敬称略(伝統文化新聞にも掲載します)

2018年4月 9日 (月)

四月大歌舞伎評

今月は菊五郎、仁左衛門の大看板が、それぞれ昼の部、夜の部で国崩し、小悪党の敵役二役を演じている。円熟期も今がおそらく頂点であろう2人が歌舞伎の醍醐味を堪能させた。
昼の部は中堅若手による「西郷と勝」から。真山青果作「江戸城総攻」を基に、松竹芸文室が改訂し、大場正昭が演出。
江戸城の無血開城を実現した西郷隆盛と勝海舟の人物の大きさを描く作品で、松緑が西郷、錦之助が勝を熱演した。このところ役者ぶりを大きくしている松緑なので期待したが、西郷にはまだ届かない。豪傑笑いがいささかむなしい。錦之助も敵役で線の太さを見せているので期待したが、勝にしてはまだ線が細い。
脇の若手が健闘した。彦三郎の山岡鉄太郎、坂東亀蔵の中村半次郎、松江の村田新八。
続く「裏表先代萩」は「大場道益宅」から「仁木刃傷」までの伊達騒動物の通し。乳人・政岡や執権・仁木弾正の活躍する時代物「伽羅先代萩」と、仁木に毒薬を渡した町医者・大場道益が下男・小助に殺される世話場を交互に上演する、菊五郎家ゆかりの作品。
当代の菊五郎が下男小助と仁木弾正。小気味よく動く小助と悠然と「床下」から逃げ去る大悪人の仁木を鮮やかに演じ分けた。
時蔵の政岡。「伽羅先代萩」では主役とも言える女形の大役。忠義と子を失う悲しみの落差で見せている。
錦之助の細川勝元。「伽羅先代萩」と違い、捌き役の見せ場はないが、物語の締めくくり役としての責務を果たした。孝太郎が下女お竹と沖の井の二役で、そのうちの道益に横恋慕されるお竹はいじらしさや芯の強さがあり好演。
松緑の倉橋弥十郎が小助との対決でいい捌き役ぶり。前演目の西郷は今ひとつだったが、こちらはしっかり小助をねじふせる。これなら、「伽羅先代萩」の捌き役・細川勝元をうまくこなせるか。期待したい。彦三郎の荒獅子男之助は立派。荒事役者であることを感じさせる。
東蔵の忠義な渡辺外記左衛門、萬次郎の威圧的な栄御前、彌十郎の憎々しい八汐。いずれも個性を発揮しつつ芝居を盛り上げた。各役の相乗効果で見応えのある通しになった。
夜の部はお家騒動に敵討ちを絡めた鶴屋南北作「絵本合法衢」の通し。
仁左衛門が本家・多賀家の横領を企む左枝大学之助と大学之助に瓜二つの小悪党・立場の太平次の二役。この二役を当たり役とする仁左衛門は大学之助では持ち前のよい口跡をにごらせ大敵ぶりを示し、太平次では軽妙な動きで小者ぶりを見せる。自ら監修もし、一世一代と銘打っているが、それにふさわしい出来で、悪の華を咲かせる。
しかし、殺し場に続く殺し場で、脇の熱演にもかかわらず物語が浅い。したがって、昼夜の比較をすれば、主役は仁左衛門、作品は「裏表先代萩」というところ。
時蔵のうんざりお松と弥十郎妻・皐月。錦之助の与兵衛、孝太郎の与兵衛許嫁・お亀。彌十郎の高橋瀬左衛門と高橋弥十郎。
3日所見。

2018年3月28日 (水)

焦点・野村萬斎・裕基で父子獅子の舞

野村萬斎が3月25日、東京・国立能楽堂で開かれた狂言ござる乃座57th公演で興味深い作品を初演した。前回公演では物語性の高い新作狂言「なごりが原」を披露したが、今回は軽業で狂言の原点を探る。進化を続ける狂言師である。
まず公演全体を紹介する。前半は萬斎が父・万作、子息・裕基と三代で共演する「佐渡狐」に始まり、門弟による「苞山伏」、連歌で競う萬斎・石田幸雄の「富士松」の狂言三番。80代の万作から10代の裕基まで万作ファミリーの品のいい笑いが響く。後半は舞三番。野村太一郎の小舞「海老救川」、万作の小舞「芦刈」。そして最後に試演として注目の「狂言獅子 双之舞」を初演したのである。
太鼓と笛の一調一管で越後獅子の白獅子と赤獅子が登場、側転や倒立などアクロバチックに舞い踊る。萬斎が白獅子で裕基が赤獅子である。赤獅子は舞台から橋掛かりに向かって派手に欄干越えも披露する。鼓も入って祝祭劇は終わる。身体を駆使する狂言らしい演技に感動すら覚える。
越後生まれの聟が舅に乞われ越後獅子を舞う狂言「越後聟」の舞の部分を取り上げたのだが、白獅子と赤獅子、即ち親子の2人を登場させたのがミソ。萬斎のアイデアだろう。萬斎の念頭には能「石橋」の白頭、赤頭があったようだ。しかし、布を垂らす越後獅子と長い毛を振る歌舞伎の獅子とは姿かたちも内容も異なるが、筆者は歌舞伎の「連獅子」と重ねて見てしまった。今年大学生になる息子・裕基を厳しく鍛えようという萬斎の親の思いが伝わる小品であった。
=敬称略(伝統文化新聞にも掲載します)

2018年3月15日 (木)

国立劇場三月歌舞伎評

花形2人がお家芸に挑戦する。芸を継承させる意義ある公演だ。
最初は鴈治郎家ゆかりの「増補忠臣蔵」。東京では珍しい上演。「仮名手本忠臣蔵」に登場する桃井家家老・加古川本蔵の下屋敷が舞台で、九段目「山科閑居」の直前の話として増補している。
桃井家の奸臣・井浪伴左衛門成敗や塩冶判官の弟・縫之助を慕う若狭之助妹・三千歳姫など楽しめる書き加えがなされているが、その中心は主君・桃井若狭之助が高師直に賄賂を贈った家老・本蔵を許し、虚無僧の装束と高家絵図面と共にいとまを与えた件にある。
鴈治郎が初代鴈治郎以来演じてきた若狭之助。亀蔵が本蔵。2人は主従の絆を熱演した。
梅枝の三千歳姫、橘太郎の井浪。
後半の「梅雨小袖昔八丈」は五代目菊五郎以来、代々演じている髪結新三を七代目の息子・菊之助が挑む。清新な役者だけに、まだ悪党は難しいかなと思っていたが、序幕「永代橋」で、だました忠七に言いがかりをつける最初の台詞からしっかり悪を感じさせる。この後、勢いに乗り、老侠客・弥太五郎源七を撃退する件、老獪な家主・長兵衛にやりこめられる件まで一気に見せた。軽快な小悪党。継承成功である。
亀蔵が長兵衛。「増補忠臣蔵」の忠義な本蔵から一転して、悪党の上前をはねる因業家主。両方とも好演である。橘太郎の女房お角も前演目の敵役から一転して欲張り婆さん。こちらも結構。
團蔵の源七は勢いを失った侠客の悲哀を感じさせる。萬太郎の勝奴もいい。萬次郎の白子屋後家お常。梅枝の手代忠七。梅丸の白子屋お熊、
7日所見。

2018年3月11日 (日)

三月大歌舞伎評
昼の部は「国性爺合戦」から。獅子ケ城の「楼門」「甘輝館」「紅流し」「元の甘輝館」。
愛之助の和藤内。花道の出から勢いがあり飛び六方もきまる。明国再興を志す日中混血青年の気迫がある。しかし、声に荒事らしい強さがほしい。
芝翫の甘輝。将軍としての大きさや妻・錦祥女の異母弟の和藤内に助力を頼まれる苦悩が見られ、まずまずの出来。扇雀の錦祥女。このところ充実した演技を見せているが、義理に苦しめられる今回の役はいささか難しいようだ。
そんな中、ベテランの東蔵が和藤内の父・老一官。秀太郎が妻・渚で味わい深い演技を見せた。特に義理を通すために死を選ぶ渚に強さがあり、光る。
次が先代四世雀右衛門七回忌追善「男女道成寺」
当代雀右衛門の白拍子花子。襲名以来、役者ぶりを大きくしているが、ここでも「恋の「手習い」のクゴキを中心に「鐘入」まで伸びやかに見せる。
松緑の狂言師左近。本曲の軽妙な部分を際立たせた。友右衛門が冒頭で追善のあいさつ。
「芝浜革財布」は芝翫の魚屋政五郎、孝太郎の女房おたつ。初役の2人で心温まる人情噺を作り上げた。芝翫は持ち味の庶民性を生かし、世話物に強いところを証明した。いずれ、舞台に江戸の風を吹かせるようになるだろう。孝太郎は酔いからさめた亭主を「大金拾ったのは夢だ」とだます件に情がある。下世話になりすぎないのも好感が持てる。
夜の部最初の「於染久松色読販」は悪婆、土手のお六が活躍する「小梅莨屋」「瓦町油屋」。
玉三郎のお六に仁左衛門の鬼門の喜兵衛。美男美女コンビで人気を集めた昭和の孝玉ブームを思い出す。
その仁左衛門と玉三郎が次の「神田祭」でいなせな鳶頭、あでやかな芸者で再登場。前演目で社会の底辺にうごめく悪を演じた2人が華やかに踊る。仁左衛門は爽やか、玉三郎は愛嬌たっぶり。ご両人!と声を掛けたくなるほどいいコンビだ。
最後は新派名作「滝の白糸」の玉三郎演出による歌舞伎化。壱太郎の水芸の太夫・白糸、松也の村越欣弥がメリハリの効いた演出に乗り、瑞々しい演技で純愛、悲恋、悲劇を描き上げている。元来芸達者な若手だが、ワンランク上がった、今月一番の収穫である。
白糸が村越に恋心を抱き、学費支援を約束するに至る二幕「卯辰橋」が優れている。壱太郎は一目ぼれを違和感なく見せ、妻になりたい気持ちを口に出せない切なさが心に響く。終始きっぱりした物腰から元士族の娘としての矜持を感じさせる。
松也は前半、苦学の馬方で野性的な面も見せるが、後半では落ち着きのある検事代理として登場する。恩を受けた白糸に、殺人を自白するように諭す法廷の件は説得力とともに情もあり、感動させる。
歌六の春平、彦三郎の南京寅吉も好演。
6日所見。

2018年2月17日 (土)

焦点・六代目竹本織太夫襲名に想う

八代目竹本綱太夫五十回忌追善と六代目竹本織太夫襲名公演が、東京・国立劇場小劇場で開かれている。文楽で五十回忌追善公演は珍しい。
八代目綱太夫は人間国宝にして日本芸術院会員。昭和の文楽を代表する太夫の1人である。新・織太夫は祖父が二代目鶴澤道八、大伯父が四代目鶴澤清六、伯父に鶴澤清治という文楽三味線方の家に生まれながら、8歳で八代目綱太夫の子、豊竹咲大夫に入門した異色の経歴の持ち主。四十歳を超えて間もない気鋭の人気太夫だ。
襲名披露狂言は第二部で、「口上」の次に上演された「摂州合邦辻・合邦住家の段」。14日に拝見したが、師匠・咲太夫の切り場の後を全身全霊打ち込んで語り、合邦・玉手御前父娘の悲劇を盛り上げた。
文楽の太夫方の現状を考えると、実力者と認められた切り場語りは咲太夫ただひとり。現役の人間国宝もいない。いわば冬の時代。この「合邦」を見ても、玉手御前の人形を遣う桐竹勘十郎や相三味線の鶴澤燕三が目立つのである。織大夫には切り場語りを目指しがんばってほしい。
ところで、織太夫の魅力は迫力ある美声にあるのだが、最近は引退した竹本住太夫のような、つぶした渋い喉にお目にかからない。そういう声は歌舞伎で義太夫を語る竹本でも竹本葵太夫ぐらいしかいない。女流義太夫では竹本駒之助だけか。腹に響く低音より美しいやや高い声が増えている。
この傾向は、地唄や浪曲、さらには歌謡曲の世界にまで広がっているように思える。
なぜだろう。渋い声にするには年季がいるからか。資質の問題か。美声に傾くのは女性客に好まれるからか。理由は分からないが、変わりつつあるのは間違いないようである。いささか寂しい気がする。=敬称略(伝統文化新聞にも掲載します)

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