2017年8月20日 (日)

焦点・稚魚の会歌舞伎会合同公演

第23回稚魚の会歌舞伎会合同公演が8月16日から5日間、東京・国立小劇場で開かれた。いつもは脇役として主役級を支えている役者たちが憧れの大役に挑む晴舞台。筆者も毎年楽しみにしている公演である。
公演名にある稚魚の会は、国立劇場が昭和45年から脇役養成を目指し、1期2年の研修で始めた歌舞伎俳優研修の修了生の集まり。歌舞伎会は直接役者に入門した人の団体である。17日の公演を拝見した。3演目とも、これが普段はほどんど台詞のない人たちかと思えるほどしっかりした芝居である。
幕開きは岡本綺堂の新歌舞伎「番町皿屋敷」(梅玉、魁春・監修指導)。青山播磨の大役を務めるのは研修15期生の橋吾。短気さの薄いのは惜しいが、立派な旗本。純な心も表現した。腰元お菊は17期生の京珠。播磨を愛しながらも疑ってしまう哀しさがある。続く舞踊「紅翫」(梅彌・振付指導)は20期生の音蔵が様々な人物を軽妙に踊る。口跡のよさも光る。最後は義太夫物の「双蝶々曲輪日記・引窓」(芝翫・監修指導)。南与兵衛を12期生の吉兵衛、濡髪長五郎を菊五郎門下の音之助が演じる。義太夫に乗るのは難しいようだが、義理人情はよく伝わる。
見ていて出演者22人の熱気がうれしくなる。それが歌舞伎を下から支えているのだと痛感もする。修了生が支えていることは、国立劇場の伝統芸能伝承者養成研修概要を見ると明らかだ。今年4月1日現在、全歌舞伎俳優301人中99人が修了生。3人に1人だ。トンボを返ったり、立ち回りで絡む名題下では115人中59人で半数以上。その内20代は26人中21人だから、国立劇場の養成事業がないと立ち回りも出来ない時代が来ることになる。これは歌舞伎俳優だけでなく、「引窓」などで重要な役割を果たす竹本(義太夫・三味線)も同様である。そう思うと来年もこの公演に声援を送りたくなる。=敬称略

2017年8月17日 (木)

八月納涼歌舞伎評

<見>恒例の三部制。大看板は姿を見せず、若手花形で大歌舞伎座を賄う。今回の芝居は、若手花形だと勉強会になりがちな古典物がなく、新歌舞伎2本に新作喜劇、野田版。それだけに出演陣は存分に持ち味を発揮、三部とも概ね充実した舞台になっている。

第一部は長谷川伸の新歌舞伎「刺青奇偶」から。玉三郎と石川耕士の演出。
渡世人半太郎(中車)と元酌婦お仲(七之助)の哀しくも純な夫婦愛を描く。中車は元来芸達者、古典でなければうまい。渡世人のいなせな感じがよく出ている。お仲を病から救うために賭場荒らしに手を染めた経緯を語る件がうまい。七之助は薄幸の女性が仁に叶う。自暴自棄の前半から亭主思いで病弱の女房になる後半への切り替えも鮮やか。初役の2人の好演で見応えのある舞台になった。
染五郎が鮫の政五郎。最後に親分の貫禄を見せる役だが、貫禄を見せるにはあと一歩。錦吾演じる半太郎の父・喜兵衛、梅花の母・おさくが、情味を出している。
舞踊は勘太郎があどけなさの残る「玉兎」。猿之助のお福、勘九郎の杵造でテンポのいい「団子売」。勘三郎、三津五郎亡き後の踊り手。暗い芝居のあと、舞台を明るくして第一部の幕を下ろした。

第二部は岡本綺堂の新歌舞伎「修禅寺物語」。猿翁の監修。映画スターであった初代坂東好太郎の三十七回忌、その長男で二代目坂東吉弥の十三回忌の追善演目である。好太郎三男の彌十郎が夜叉王を勤め、その息子・新悟が妹娘・楓。
近年、彌十郎は脇役でありながら存在感を増しているが、期待通り主役を無事勤めた。相手が将軍といえども納得できない面は渡せないという芸術家としての気概、二人の娘への情愛、瀕死の姉娘の顔を写し取ろうとする芸術家魂など的確に表現している。
猿之助が姉娘・桂。上昇志向の強さを浮き彫りにして好演。勘九郎の源頼家、已之助の春彦。
もう一本は戸部和久脚本、猿之助脚本・演出の新作喜劇「東海道中膝栗毛・歌舞伎座捕物帖」。昨夏、染五郎の弥次郎兵衛、猿之助の喜多八がクジラに乗ったり、ラスベガスで遊んだりの破天荒な「膝栗毛」を上演した。本作はその続編で、ラスベガスから帰った弥次喜多が活躍するのは江戸の歌舞伎座の舞台裏。「義経千本桜・川連法眼館」の初日を前に役者が殺され犯人を推理していく。舞台の仕掛けや舞台作りの過程が見られて楽しめる。宙乗りで出て、宙乗りで引っ込む染五郎と猿之助。今回も喜劇のセンスを発揮している。
共演は人気花形、若手、御曹司が大挙出演。勘九郎、七之助、已之助、児太郎、隼人、千之助、虎之介、新悟、片岡亀蔵。超若手の金太郎、團子から超ベテランの竹三郎。中車、門之助、笑也、笑三郎、猿弥らおもだか勢などなど。大挙出演で薄味にしているが、にぎやかな舞台にはなった。
第三部は「野田版 桜の森の満開の下」の一本立て。坂口安吾の2作品をベースにした野田秀樹作品の歌舞伎化。壬申の乱を背景にして権力、国家、恋愛,芸術を民話風にかつダイナミックに描く。演出も野田。
特有の言葉遊びで分かりにくくなりがちな野田戯曲であるが、歌舞伎俳優の強い台詞がそれをカバーする。勘九郎の耳男。染五郎のオオアマ、七之助の夜長姫。梅枝の早寝姫、猿弥のマナコ、片岡亀蔵の赤名人、彌十郎のエンマ、扇雀のヒダの王。いずれも好演である。
11日所見。
――27日まで歌舞伎座で上演。

2017年8月 9日 (水)

ミュージカル「にんじん」評

<見>フランスの作家ルナール原作。栗山民也演出。山本直純音楽。
赤毛でそばかすのため家族から「にんじん」と呼ばれる少年フランソワ・ルピック(大竹しのぶ)の懸命に生きる姿を描く。理不尽な母ルピック夫人(キムラ緑子)、冷たい父ルピック氏(宇梶剛士)、わがままな兄フェリックス(中山優馬)と姉エルネスティーヌ(秋元才加)。彼らの作り出す虚飾の団らん。

百年以上前の作品だが、家族そろってわが身かわいさからにんじんをいじめ、自殺未遂にまで追い込む姿は現代に通じる「いじめの構図」と言える。
注目は、還暦を迎え、38年ぶりににんじんを演じる大竹。達者な芸で性差、年齢差を乗り越え、14歳の男の子になりきっている。抑圧され内向する屈折した心理の描写は自然である。別の作品だが、「女の一生」の少女時代の布引けいならどう演じるであろうか。
今井清隆が「名づけ親」で温かみを出した。真琴つばさがにんじんを応援するアネット

3日所見。
――27日まで新橋演舞場で上演。

2017年7月26日 (水)

焦点・国立劇場新企画、「大人のための雅楽入門」

 国立劇場(東京・半蔵門)が新しい企画公演を相次いで行った。6月10日に小劇場で開いた新シリーズ「日本音楽の流れⅠ―筝―」は筝曲の楽器の変貌をダイナミックな演奏で紹介する好企画であった。
そして、7月22日には「大人のための雅楽入門」と「大人のための声明入門」を主催、そのうち「雅楽入門」を拝見した。中高年夫婦の観客が多く、好評のようであった。
 同公演では雅楽の歴史や使用する楽器、笙、篳篥(ひちりき)、太鼓、竜笛、筝などの紹介や雅楽による舞、優雅な舞楽も披露した。
筆者が「大人のための」と題しただけのことはあると感心したのは、名曲「越天楽」をお馴染みの平調だけではなく、ほかの2つの調子に移行させた曲も聞かせてくれたことだ。全く異なる曲に聞こえる。平安の貴族たちは季節に合わせてこれらを聞き、楽しんだそうだ。移行はいささか専門的で難しい話だが、古の人々の風雅な心に触れることが出来たような気がした。
「子供でもわかる」講座は一般受けしそうだが、「大人のための」もあってしかるべきだ。
 伝統芸能入門で「〇〇のための」となると、是非ともほしいのが「外国人のための」である。そこで国立劇場に聞くと、六月歌舞伎鑑賞教室の2公演で実施したという。歌舞伎俳優の中村隼人さんとフリーアナウンサーの木佐彩子さんが日本語と英語を交えて解説したそうだ。今年で3回目になるという。外国人観光客の急増、3年後に迫る東京五輪と要請の条件がそろっている。「大人のための」同様、こちらも充実させてほしいものだ。

2017年7月23日 (日)

シス・カンパニー「子供の事情」評

<見>小学4年生、10歳の児童は大人が考えるほど子供ではなく、実は大人とあまり変わらない思考能力を持つとの発想に立ち、クラスを牛耳ろうとする4年生たちの権謀術数を描く。三谷幸喜作・演出の傑作喜劇だ。
 児童はあだ名で呼び合う。転校生ジョー(大泉洋)はあの手この手でクラスの実権をアニキ(天海祐希)から奪う。ホリさん(吉田羊)を騙し、答案用紙を改ざんさせるシーンは迫力がある。ソウリ(青木さやか)は学級委員に執着。ジョーが学級委員に祭り上げたリピート(浅野和之)はジョーの指示に背いて嘘の証言を拒否、真実を告白する。
 要するに、今の政界を皮肉っている。そこはまるで小学生程度の世界だと言わんばかりである。
 ほか小池栄子、林遣都、伊藤蘭らも出演。
19日所見。
――8月6日まで新国立劇場中劇場で上演。

2017年7月22日 (土)

世田谷パブリックシアター「子午線の祀り」評

<見>「平家物語」を元に、平家の将・知盛と源氏の将・義経の戦いぶりと生き様を描いた木下順二の戯曲。今回は野村萬斎が知盛を演じるとともに演出も担当。宇宙的広大無辺の視野から源平の争いを見る。迫力と共に皮肉も十分に効いた舞台となった。
 萬斎は3度目の知盛。近年一段と向上した狂言の台詞術がここでも生かされ、知盛の威厳、苦悩、愛が舞台に広がる。萬斎演劇が一定の高みに到達したと言えよう。
 成河の義経もいい。異母兄頼朝に対する屈折した心理が漂い、勝利のためには手段を選ばぬ猛将ぶりで存在感を示す。
若村麻由美の影身、河原崎國太郎の宗盛。
14日所見。
――23日まで世田谷オアブリックシアターで上演。

2017年7月20日 (木)

七月名作喜劇公演評

<見>おなじみの喜劇2本。
「お江戸みやげ」は結城紬を行商する倹約家のお辻(波乃久里子)が歌舞伎役者・阪東栄紫(喜多村緑郎)に一目ぼれ、栄紫とお紺(小林綾子)の恋を実らせるため稼いだ金を投げ出す。波乃は倹約ぶりであまり笑いを取ろうとせず、抑制を効かせた演技で長く独り身を通した女の切ない恋心をうまく出している。歌舞伎女形の市村萬次郎がお辻の陽気な行商仲間おゆうで存在感を発揮した。喜多村は神妙に二枚目。
 もう一本の「紺屋と高尾」。大坂の紺屋職人・久造(喜多村)が江戸・吉原で見染めた花魁・高尾太夫(浅野ゆう子)と結ばれる目出度い話。喜多村の純情ぶりが見せ場になった。
 萬次郎がここでは久造の主人・吉兵衛で立役。周囲とあまり溶け込めないところが、かえって面白い。曾我廼家文童が頼りない医者・玄庵で上方喜劇の面白さを振りまいた。
5日所見。
――25日まで新橋演舞場で上演。

2017年7月10日 (月)

七月大歌舞伎評

<見>獅童の病気休演で海老蔵奮闘公演の形。その海老蔵、前月に最愛の夫人を失い悲嘆の中で幼い長男・堀越勸玄を引き連れ舞台に立った。
昼の部は「矢の根」で開く。右團次の五郎はきびきびした動きに好感が持て、ねばつく台詞も影を潜め、まずまずの十八番になった。笑也の曽我十郎。。
「加賀鳶」は海老蔵が天神の梅吉と竹垣道玄の二役。梅吉は貫禄ある加賀鳶で結構だが、偽盲目の悪徳按摩の道玄は仁になく苦戦。しかし、この意欲はいつか花開こう。
中車や右團次、已之助らが鳶で揃い見せ場を作る。齊入のお兼。
「連獅子」は海老蔵の親獅子、巳之助の仔獅子。毛振りが気になるものの、夫人を失ったばかりの海老蔵、二年前に父・三津五郎が他界した已之助を思うと、平常心で見ていられない何かが脳裏をよぎる。
夜の部は通し狂言「駄右衛門花御所異聞」」。「白浪五人男」の頭目・日本駄右衛門が先行して登場している竹田治蔵の作品を織田紘二、石川耕士、川崎哲男、藤間勘十郎によって補綴・演出し復活させた。
 月本家のお家騒動に端を発し、天下を狙う賊徒の張本、日本駄右衛門が妖術を駆使して大暴れ。ゾンビも登場する痛快娯楽劇である。
海老蔵が駄右衛門、玉島幸兵衛、秋葉大権現の三役で魅力をたっぷり見せるが、最大の見せ場は二幕の幕切れ。海老蔵の大権現と勸玄扮する白狐が駄右衛門を制圧するために飛び立つ宙乗り。かつて、客席を興奮のるつぼと化す現猿翁の素晴らしい宙乗りを何度も見てきたが、それとは全く次元を異にする宙乗りであった。もはやこれは芝居ではない。悲劇の父子を応援しようとする日本中のファンの代表者が劇場に詰めかけ、声援を送っている、としか思えない異様な熱気。女性客の掛け声も多かった。その人たちは、役者にではなく、宙で手を振るわが幼子に声を掛けているのだ。ほかの演劇とは違い、人々の心の中に深く入り込んでいる歌舞伎芝居はこれだと思った。
中車、右團次、已之助ら大勢の共演が舞台を盛り上げたが、児太郎が重要な奴のお才に起用され、期待に応えていたことを記しておく。
4日所見。
――27日まで歌舞伎座で上演。

2017年7月 6日 (木)

文学座「中橋公館」評

<見>真船豊作、上村聡史演出。
半世紀にわたり中国の辺地で医療活動に奔走した日本人医師・中橋徹人(石田圭祐)一家は北京で終戦を迎え、引き上げか残留かを迫られる。
この極限状態の中で浮かび上がるのは、使命感に燃えるあまり家庭を一顧だにしなかった徹人と病弱ながら母・あや(倉田章子)と三人の妹を支えてきた長男・勘助(浅野雅博)との根深い確執である。「父帰る」の構図だが、男と家庭の永遠の矛盾がうまく出ている。
石田は気宇壮大ながら傲慢な医師を豪快に演じている。はまり役である。
浅野は父から引き継いだ短気と父にない優しさを勘助に塗り込んでいる。
倉田は夫に従うだけで存在感の薄い母を神妙に演じていたが、後半、内地で予科練に志願した孫を思う長台詞で、実力を存分に見せつけた。
 作者の視点は戦前の中国における日本の行動に対する反省に立脚しているが、礼儀を忘れない日本は復興すると語らせているのは興味深い。
1日所見。
――9日まで紀伊国屋ホールで上演。

2017年6月22日 (木)

地人会新社「これはあなたのもの1943ウクライナ」評

<見>米国のノーベル化学賞受賞者でユダヤ人のロアルド・ホフマンが書いた異色の自伝的戯曲。川島慶子訳、鵜山仁演出。
 神と天使が人間界を俯瞰して見るようなコミカルなシーンのあと、場面は1992年米国カルフォルニアに。かつてウクライナから移住したユダヤ系のフリーダ(八千草薫)と息子で医師のエミール(吉田栄作)、そしてエミールの妻タマール(保坂知寿)たちの住む家に、第二次世界大戦中、ウクライナでフリーダや幼いエミールをかくまってくれた家族の1人(かとうかず子)が訪ねて来ることになり、フリーダは重い口を開き、ナチス・ドイツだけでなくウクライナ人やソ連人から迫害を受けた苛酷な過去を語り始める。
 八千草は第一次世界大戦以降を支配国が次々と変わり、そのたびに迫害を受けたウクライナのユダヤ人の悲しみを抑制の効いた演技で表現する。八千草らしい控え目な芸質は、かえって迫害への怒りを大きくした。適役である。
 人間の持つ限りない憎悪に暗澹となる一方、憎悪を英知で打ち破れと呼びかける作品である。
21日所見。
――25日まで新国立劇場小劇場で上演。

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