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2015年2月24日 (火)

焦点・坂東三津五郎の死

 歌舞伎の坂東三津五郎さんが2月21日、すい臓がんのため帰らぬ人となった。59歳の若さで逝くとは。2012年の中村勘三郎さん、翌年の市川團十郎さんに続く、歌舞伎界の実に大きな損失である。
 時代物・世話物両方に秀でた逸材、舞踊の名手、歌舞伎を次世代に渡す貴重な伝承者、日舞の大流派・坂東流の家元など、さなざまな業績が訃報とともに報道された。ここではささやかながら筆者が取材などを通して知りえたことを紹介し、追悼としたい。
 2冊の拙著で協力していただいた。「かぶき立ち見席」(2001年、演劇出版社刊)にご本人も登場するが、出版に際し外側に掛ける推薦の言葉を依頼したところ快く引き受けてくれた。数日後、「一味違った歌舞伎へのアプローチ」ではどうか、との返事。忙しい身でありながら、原稿に目を通して考えてくれたことに感激した。義理堅く真面目な人である。もちろんそのまま使わせていただいた。
 「家元探訪――未来を見据える十人」(2012年、出版研究センター刊)では家元の1人として出ていただいた。取材したのは2008年。3時間ほどで、生い立ちから歌舞伎の話、日舞への取り組み方や将来展望、映画出演の話、さらに趣味の城や俳句のことまでよどみなく語ってくれ、Yomiuri online連載17回、本にして約30頁分のインタビュー記事になった。持続する明晰さに驚いた次第である。
 先に逝った勘三郎さんとは同学年のライバル。コクーン歌舞伎や平成中村座、その海外公演などで活躍をするにぎやかで太陽のような勘三郎さんに対し、物静かな月のように思えたこともある。あるとき、「彼とは道が違う」と話していた。その違う道のひとつは、坂東流家元の重責を背負っていることであろう。
 歌舞伎座終演後に午後11時ごろまで会食したとき、「これから流派の打ち合わせ」とタクシーに乗った。浅草で坂東流の師範たちを指導する姿を見学したことがある。5、6人づつ並べて1曲踊らせ、終わると出ていきテキパキ直す。そして次の人を見る。これを2日続けると聞いた。家元の苦労のほんの一端を見た気がする。
 最後に話をしたのは昨年2月15日。国立劇場の日本舞踊協会公演で久しぶりに舞台に立った。その年の読売演劇大賞最優秀男優賞受賞のお祝いをいうため楽屋を訪ねた。彼は20年前の第一回で優秀賞には選ばれたが、最優秀賞は逸していた。「第一回の表彰式に読売(会長・主筆)の渡邊さんがいた。20年経った今もトップにいるのはすごい」とにこやかに話していた。元気な人を引き合いに出して病気療養中のわが身を振り返ったのだろうか。にこやかだが、かつてのよな弾んだ声ではなかった。
 冒頭の言を繰り返す。歌舞伎界にとって、実に大きな損失。今はただご冥福を祈るばかりである。
 
 

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